西洋古典文学を読む・・

ゲーテ Goethe-イタリア紀行を読む(2)

イタリア紀行

ゲーテ全集 潮出版社 高木 久雄訳

われもまたアルカディアに!

旅程

20170129

ゲーテのイタリア旅程

自伝文学『詩と真実』だが、1755年にヴァイマル公国で仕事を始める(26歳)までの「自伝」というより「文学」であった。
『イタリア紀行』はその10年後からの「紀行」であるが、 これも30年経ってからの編集で、帰国の旅についてはかかれていない。


9月3日の朝3時に旅に出て、アルプスを越えて南下して、ヴィチェンツァに7泊、 ヴェネツィアに16泊、ボローニャにも3泊し…11月1日にローマに入るまでに8週間を費やしているのに・・・ フィレンツェを 3時間で(?)「駆け抜けた」とは!・・と思ったが、


しかし、それが、何か・・わからないでもない・・・
「準備も案内もなしにこの国に入っていく無謀さ」について別のところで言っているし・・
この時、ボ(ー)ボリ庭園はいったみたいだ(笑)
追記:今、該当の箇所(p92)を見たのだが、3時間とは書いてなかった・・ん?確かに読んだと思ったのだが・・
10時について、夕方まではいたのだろうか!?
(追記・ローマに着いてからの記述(p103)にちゃんと「わずか3時間滞在しただけである」とありました)
泊まったのペルージャ。
帰り道では、フィレンツェにも逗留したのだろうか???
知りたいものだ


「ルネサンス」と言う言葉は、1855年に現れた言葉だという。しかし、「再生」という意識は16世紀からあり、フィレンツェにおいて、「建築、絵画、彫刻におけるルネサンス芸術は、15世紀をとおして大きく開花し、ボッティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの巨匠が活躍するルネサンス文化の中心地となって学問・芸術の大輪の花が開いた。」(wikipedia
ヴァザーリは(Giorgio Vasari, 1511-1574)、 ダンテは(1265-1361)


Back「ゲーテのイタリア(1)紀行」 Next 「ゲーテのイタリア紀行(3)」

ゲーテの見たもの

ヴェローナ

 

ヴェローナ1786年9月14日 の1時頃到着。
ヴェローナのアリーナ(円形劇場)は、「古代の重要記念物のうち、ぼくの見る最初のもの」
ゲーテはなかなか面白い感想を書いている。  

 
VeronaArena2

ヴェローナからヴェネツィアまで

1786年9月16日

円形劇場は、古代の重要記念物のうち、ぼくの見る最初のものであり、それは実によく保存されている。中に入ったとき、それに上部の縁を歩きまわった時はなおさらに、何か偉大なものを見ているような、それでいて何も見ていないような、妙な気がした(p31)
(中略)人間がいっぱい詰まっているところを見るべきものである。
(中略)建築家はこのような噴火口式のものを人工的に作り上げる。それもできる限り簡素に、民衆自身がその装飾となるような具合にする。民衆がそのようにして集まった自らを眺める時、彼らは自らに対して驚嘆せずにはいられなかった。この頭数も多ければ心も各自ばらばらであちこちと行き迷う動物が、合して一つの高貴な身体となり、一つの統一体にまで定められ、一つの集団にまで結ばれ固められ、一つの精神に生きる一つの形姿となった自らを認めるからである。

 

  トレントに1986年9月10日の夜8時について、12日はガルダ湖へ、16日からヴェローナに3泊 、9月19日からヴィチェンツァに7泊、9月26日にパードヴァへ・・ヴェネツィアには9月28日の夕に着いて、19月14日まで16泊。宿は「イギリス女王」で現在は、ホテル・ヴィトリア

 

ティントレット の「楽園」

筆の軽妙さ、精神、表現の多様さ、この全てを驚嘆し味わうためには、その作品そのものを所有して、生涯それを目の前におかなくてはならないだろう。(p36) 

ティントレット Tintoretto( 1518-1595 75才 )
ヴェネツィアにおける芸術運動「マニエリスムス』の代表者(解説)
 (ヴェネツィア派 「生粋のヴェネツィア人」 wikipedia)   

「べヴィラッカ宮殿」にあるティントレット …‥
ドゥカーレ宮殿 閣議の間 「天国」のスケッチ 1578 ヴェロネーゼ リール美術館所蔵 (ドゥカーレ宮殿はヴェネツィア)これとはちがい、今はルーブルにあるものという。


ルーブル美術館蔵(パブリックドメイン)
 

9月19日 ヴィツェンチャ

 

ヴェローナからここまでの道は、大変気持ちがいい。
(中略)まっすぐな、よく手入れされた幅広い道は肥沃な野原を貫いて、奥深く並ぶ立ち木を見通すと、それに葡萄が絡ませてあり、高く伸びている蔓はまるで軽やかな枝のように下へ垂れている。
ここで花綵(フェストーネ)とはどういうものかがはっきり納得できる! (p41)

 

パッラディーオ作のオリンピコ劇場

3896VicenzaTeatroOlimpico  

この男が近代の全ての建築家と同じく打ち勝たねばなたなかった最高の困難は、市民的建築術における柱式の適切なる応用なのである。つまり円柱と囲壁とを結びつけることは、やはり何と言っても矛盾にほかならないからだ。ところが彼はこの両者をいかにうまく調和させたことか!(p42)

オリンピコ劇場は古代人の劇場を小規模に実現したもので、言いようもなく美しい。
パッラーディオのバジリカ街道が、不揃いの窓をいっぱいつけた城塞風の古い建物と並んでどのような光景を呈しているかは言い表し難い。
残念ながら僕は個々でもまた、自分の見たくないものと見たいものが併存しているのを見出すのだ(p43)

パッラディーオの建築の中で、ぼくがつねづね特に好きだったものが一つあるが、それはパッラーディオの自宅だったと言われるものだ。(p44)

アンドレーア・パッラーディオ(Andrea Palladio, 1508 - 1580):イタリア・パドヴァ生まれの建築家 (wikipedia

 

http://www.visitpalladio.com/
http://www.vicenza-unesco.com/

 

9月26日パードヴァ

 

ヨーロッパ最古の植物園(1545年にできた)

ここでこうして新たに多様な植物に接してみると、あらゆる植物形態はおそらく 一つの形態から発展するものであろうという例の思想がいよいよ有力となってくる。この方法によってのみ、種や属を本当に決定することが可能となるであろう。これまではこの決定が非常に勝手になされているように思われる。この点で僕は自分の植物哲学にはまり込んでしまい、いまだにそこから抜け出す道がわからないでいる。(p49)

隠者派(エレミット)の協会で、僕が驚嘆している金庫の画家の一人マンテーニャの絵を見た。これらの絵にはなんという鋭い確実な現在性が表されてていることか!(p50)

(追記:パドヴァのエレミターニ教会内にあるオヴェターリ礼拝堂に描かれ、戦争で破壊されたマンテーニャの壁画についてのブログ http://cojicoviaggio.cocolog-nifty.com/blog/

 

1786年9月28日 ヴェネツィア

 

最初のゴンドラが船のところに漕ぎよせてきた時、ぼくはおそらく二十年この方思い出した事もない、あの昔の玩具を思い浮かべた。父はイタリアから持ち帰った美しいゴドラの模型を所有していた。(p51)

 

フェラーラからローマまで

10月18日 ボローニャ

ラファエロのチュチリア

  

彼はつねに、他の人が絵にしたいと思うようなものを描いてきた。(中略)ぼくらとはなんの関わりもない五人の聖者が並んでいるが、その存在がまことに完璧に描かれているために、たとえ我が身が消えてなくなることに甘んじようとも、この絵のためには永遠にわたる存続が願わしいほどである。
しかし彼を正当に認識し正当に評価するため、また彼をメルキゼデクのように、父もなく母もなくして出現したといわれる神の如き存在に祭り上げてしまわないためには、彼の先輩であり、彼の師である人たちを問題にしなければならない。
彼らは孜々として、いや小心翼々として広大な土台をすえつけ、互いに競い合いながら金字塔を一段一段と築きあげていったのだ。そして最後にラファエロが、あらゆる此等の利点に支えられ、この世のもの成らぬ守護神からの光を受けて、もはやそのウエにも横にも他の石を置くことのできない頂上の最後の石を載せたのである。(p84)

追記 ボローニャの国立絵画館http://itaraku.com/category52-1.htmlhttp://art.pro.tok2.com/R/Raphael/Raphael046.htm

 

10月25日 ペルージャ

 

(イタリア人のある大尉のセリフ)
「何をそんなに考え込むのです!人間は考えてはなりません。考えると老いこむだけです」
「人間は一つのことにばかり拘泥してはいけません。頭が変になるからです。人は千もの事を雑然と頭に持っていなくてはなりません」(p93)

このあたり笑いました・・

10月26日 アッシジ

 Assisi Piazza del Comune BW 4

聖フランチェスコの眠っている、バビロン風に積み重ねられた教会の巨大な仮装建築には嫌悪を覚えて、これを左に見て通り過ぎた。この中へ入れば例の大尉の頭のようにされてしまいそうだと考えたからだ。(p95)

アッシジのマリア・デル・ミネルヴァ神殿

僕が見た最初の完全な古代の記念物

 

10月28日 チッタ・カステッラーナにて

さて明晩はいよいよローマだ。今でもまだ信じられないくらいで、この願望がかなえられたなら、あとは何を願ったらいいのだろう。(p102)   

(笑)
ここまでとします
 ~~次は(しばらくおいて、いずれ、)ローマに続きます ~~

Back「ゲーテのイタリア(1)紀行」 Next 「ゲーテのイタリア紀行(3)」

 

BOOKS

http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001658512-00