2003/12/20
箴「言」  アフォリズム
redoute
RedouteのRose ボタニカルアート
まるでほんとみたいだ・・絵を見て
まるで絵みたいだ・・ほんと見て

現実が何らかの意味で小説に見えなけらば、
身がもてないのである

小説に要約しようとする
現実に還元しようとする


私たちは小説を読んで、
その現実性とか具体性とかを呑気に口にしているが
実は
自分が常日頃抱いている
現実の小説的要約を口にしているに過ぎない

小林秀雄 明治35(1902)年〜昭和58(1983)年
さて・・・
アドベントカレンダー・・・
キリストの降誕を待つ期間ということで、
でっち上げてまいりました・・・
父と子、母と子、母なるもの・・・
時、詩句・・というテーマで・・
さて・・・わが亡母は、私のすることについて、
何か言って抑えたりすることが全くない人であった。
・・が、後年いわく、
「中学・高校時代のあんたは、私の娘ではないと思っていた」
・・・・・・のだそうである。(^-^;))

さて、中学時代、宮沢賢治についで芥川龍之介を網羅的に読み始め、
「河童」やら「西方の人」「ある阿呆の一生」まで、
ほとんどを読んでしまったのであったが・・・・・
高校時代になると、芥川を 三十面下げて「道徳とは左側通行ということである」、
などと平気で書く様なロマンチスト、半知的作家・・と評する
小林秀雄が、かわって私の星になった。

共通しているのは
「逆説」、詩的批評、箴言的言辞、であったかと思う。

17歳のランボー
17歳のランボー
「この 孛(はい)星が
不思議な人間倦厭の光を放って
フランス文学大空を掠めたのは・・・」
小林秀雄の卒論のドキドキの冒頭のせりふ
 
自己嫌悪とは自分への一種の甘え方だ。
最も逆説的な自己陶酔の形式だ。
小林秀雄
自己嫌悪と自己陶酔の「時」 ・・・
アルチュール・ランボー
Arthur Rimbaud (1854〜1891 36歳) 写真他
http://www.poetes.com/rimbaud/
http://www.geocities.com/Athens/8161/rimbaud.html
こんな詩だった

最高塔の歌(地獄の季節)

時よ、来い 
ああ、陶酔の時よ、来い!
よくも忍んだ。
忘れてしまおう。
積る怖れも苦しみも
空を目指して旅立った。
今 条理(わけ)もなく 咽喉(のど)は涸れ
血の管(くだ)に暗い陰(かげ)はさす。


ああ、時よ、来い 
ああ、陶酔の時よ、来い!


ここで別の詩人の詩を
冬のレストラン(清岡卓行)
 
それがなんであろうと 心をこめた
 一日の長い仕事ののちの
爽やかさ。冬の夕暮れの繁華街の
あわただしい雑踏に
静かに粉雪が降りかかりはじめ
いくつかのネオンの原色が
それをひそかに照明している。
《中略》
ぼくは年齢について話していた。
___十九歳からニ十歳になるときが
   一番絶望的で 甘美で
   真珠の中にはそれより大きな
   水蜜桃がかくされています
   二十九歳から三十歳になるとき
   おつぎはもう四十歳とあきらめ
   暴風雨の中に ぼくはせめて
   音楽の沈黙を聞こうとしました。
ぼくは奇妙なメタモルフォールまじりのせりふを
内心深く恥じながら、付け加えたのだ。
___だから四十歳になるとき
   おつぎは五十歳だと観念する
   にちがいないと 思ったのですが
   そのとき 実際に感じたことは
   ぼくはもう死ぬんだという
   ごくありふれたことでした。
___まぁ!
   気が早いんですね。
彼女は驚いてそう受け流しながら
遠くを夢見るような眼ざしで
真剣にたずねかえしてきたのであった。
___それで
   九つから十になるときは
   どうでした?
栗の木 「年齢」

私は今まで自分の年齢という様なものを
ほとんど気にしたことがない。

齢不惑はとうに過ぎ、
天命を知らねばならぬ期に近づいたが、
惑いはいよいよこんがらかって来る様だし、
人生の謎は深まっていくような気がしている。

私は若いころから経験を鼻にかけた
大人の生態というものに鼻持ちならす
老人の頑固や偏屈に
経験病の末期症状を見
これと比べれば
青年の向こう見ずのほうがむしろ狂気から遠い、
そういう考えを持ってきたが為である。
心に疑惑の火を断たぬこと、これが心に皺がよらない
肝腎な条件に思えた。
ところが、近年、そんな了見では、どうにも
致し方があるまいと時々思うようになった。




孔子が、自分の生涯を省み
弟子のために、思想と年齢の予定調和表の如きもの
を遺しておいたということは、興味あることだ。
彼は大詩人でもあったのである。


8昭和25年6月「新潮」



肖像 多分どなたも読むことはあるまいと思われる
28歳〜30歳の小林秀雄の 「文芸批評」(1930年)から
もうちょっと言葉を拾ってみます
人間精神とは言葉を生産する工場以外のなにものでもない。

考えると語るとはあくまで同一事実。
(そのことは)
人間精神は言葉によってのみ壮大に発展できるのだが、
精神が永遠に言葉の桎梏の下にあることも語る。
さて・・・
何をいいたいかと言うと・・
その昔、
西暦2000年の自分について想像して作文せよという
国語の宿題にはだいぶてこずったのであったが、
とうに「2000年」も過去になった・・・・・

その年代になれば、どんな高みに至るかと思えば
何を言うべきか分からない・・
何でしょ(^-^;))

母が死んだときに、
私は「親なき子」になり、
それがどんなものかというと・・
一つの役割がなくなったということだということに
気がつくのは、余りに遅かった。


来年は・・・

ALAIN アラン(1868-1951) を読みたいと思っています
『アラン著作集』は 白水社1980
『精神と情熱とに関する八十一章』 小林秀雄訳 東京創元社1978

(またぽしゃるかもしれませんが)
残り時間を考えるべき時がきましたよ
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