天命を楽しんで生きる

自然の摂理のままに終りの日まで

「歸去來辭」  陶淵明(365 - 427)の詩

木欣欣以向榮
泉涓涓而始流
羨萬物之得時
感吾生之行休
[陶潜・帰去来辞]

木は欣欣として 以て榮に向かひ
泉は涓涓として 始めて流る
萬物の 時を得たるを羨み
吾が生の 行くゆく休するを感ず

me 20170816
 上の摘出部分は、以下の四段のうちの三段の末
参照: (http://kanshi.roudokus.com/kikyorai.html


帰去来の辞 陶潜


歸去來兮(かえりなんいざ)
田園 将(まさ)に蕪(あ)れなんとす 胡(なん)ぞ帰らざる
既に自ら心を以て形の役と爲 (な)
(なん)ぞ惆悵(ちゅうちょう)として獨(ひと)り悲しむ
已往(きおう)の諫(いさ)むまじきを悟り
来者(らいしゃ)の追ふ可(べ)きを知る
実に途(みち)に迷ふこと其(そ)れ未だ遠からず
今の是にして昨の非なるを覚りぬ
舟は遙遙として以て輕く上がり
風は飄飄として衣を吹く
征夫(せいふ)に問ふに前路を以ってし
晨光(しんこう)の熹微(きび)なるを恨む

乃ち 衡宇(こうう)を瞻(み)
(すなわ)ち欣(よろこ)び 載ち奔(はし)
僮僕(どうぼく)は歡び迎へ
稚子(ちし) 門に候(ま)
三径(さんけい)は荒(こう)に就(つ)
松菊(しょうきく)は猶(な)お存せり
(よう)を携(たずさ)えて室(しつ)に入れば
酒有って樽(たる)に盈(み)てり
壺觴(こしょう)を引いて以て自ら酌(く)
庭柯(ていか)を眄(み)て以て顏を怡(よろこ)ばしむ
南窓(なんそう)に倚(よ)りて以て寄傲(きごう)
膝を容(い)るるの安んじ易きを審(つまび)らかにす
園は日に渉(わた)りて以て趣を成し
門は設(もう)くと雖(いえど)も常に関(とざ)せり
策(つえ)もて老を扶(たす)けて以て流憩(りゅうけい)(*策老はステッキなのでこの読みは少し古い)
時に首(かうべ)を矯(あ)げて游觀(ゆうかん)
雲は心無くして以て岫(しゅう)を出で
鳥は飛ぶに倦きて還るを知る
(かげ)は翳翳(えいえい)として以て將(まさ)に入らんとし
孤松(こしょう)を撫でて盤桓(ばんかん)

歸去來兮(かへりなんいざ)
請う 交りを息(や)めて以て遊を絶たん
世と我とは相ひ違えるに
復た言(ここ)に駕(が)して焉(なに)をか求めんとする
親戚の情話を悦び
琴と書とを樂しんで以て憂ひを消さん

農人 余(わ)れに告ぐるに春の及ぶを以てし
(まさ)に西疇(せいちゅう)に事有らんとす、と
或は巾車(きんしゃ)に命じ
或は孤舟(こしゅう)に棹さす
既に窈窕(ようちょう)として以て壑(たに)を尋ね
亦た崎嶇(きく)として丘を経(ふ )
木は欣欣(きんきん)として以て栄ゆるに向かい
泉は涓涓(けんけん)として始めて流る
万物の時を得たるを善みして
吾が生の行々(ゆくゆく)休せんとするを感ず

(やん)ぬるかな
形を宇内(うだい)に寓(ぐう)する 復た幾時ぞ
(なん)ぞ心を委ねて去留(きょりゅう)に任せざる
胡爲(なんす)れぞ遑遑(こうこう)として何(いづ)くに之かんと欲する
富貴(ふうき)は吾が願いに非ず
帝郷(ていきょう)は期す可からず
良辰(りょうしん)を懐(おも)うて以て孤り往(ゆ)
或は杖を植(た)てて耘耔(うんし)
東皋(とうこう)に登り 以て舒(おもむろ)に嘯(うそぶ)
清流に臨みて詩を賦す
(いささ)か化(か)に乗じて以て尽くるに帰し
(か)の天命を楽しんで復た奚(なに)をか疑はん