言葉の聖堂 byM の迷宮

春に思う: 【宮沢賢治詩集】


「おれは一人の修羅なのだ」

いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾(つばき)し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(…中略…)
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)


春と修羅(序)

わたくしといふ現象は假定された有機交流電燈のひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょにせはしくせはしく明滅しながらいかにもたしかにともりつづける因果交流電燈のひとつの青い照明です(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
これらは二十二箇月の過去とかんずる方角から紙と鑛質インクをつらね(すべてわたくしと明滅し みんなが同時に感ずるもの)ここまでたもちつゞけられたかげとひかりのひとくさりづつそのとほりの心象スケッチです
これらについて人や銀河や修羅や海膽は宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながらそれぞれ新鮮な本体論もかんがへませうがそれらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは記録されたそのとほりのこのけしきでそれが虚無ならば虚無自身がこのとほりである程度まではみんなに共通いたします(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに みんなのおのおののなかのすべてですから)
けれどもこれら新世代沖積世の巨大に明るい時間の集積のなかで正しくうつされた筈のこれらのことばがわづかその一點にも均しい明暗のうちに(あるひは修羅の十億年)すでにはやくもその組立や質を變じしかもわたくしも印刷者もそれを変らないとして感ずることは傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や風景や人物をかんずるやうにそしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに記録や歴史、あるひは地史といふものもそれのいろいろの論料といっしょに(因果の時空的制約のもとに)われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたったころはそれ相當のちがった地質學が流用され相當した證據もまた次次過去から現出しみんなは二千年ぐらゐ前には青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ新進の大學士たちは気圏のいちばんの上層きらびやかな氷窒素のあたりからすてきな化石を發堀したりあるひは白堊紀砂岩の層面に透明な人類の巨大な足跡を発見するかもしれません
すべてこれらの命題は心象や時間それ自身の性質として第四次延長のなかで主張されます

2002/03/14(Thu) 20:55
2008-04-28…宮沢賢治を久しぶりにみていました。
宮沢賢治記念館宮沢賢治童話村岩手県花巻市
いつか日時計花壇を見に行きたい…

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