言葉の聖堂 byM の迷宮
「主人公は僕だった」: 物語の終わり方
全力で頑張り(戦い)しかる後に落ちているとき
言葉の人間、という言葉が、さる映画評にあったかな?
久しぶりに見たDVDは「
主人公は僕だった 」
…
この映画の主人公はよく知らない役者で、 国税局のお役人ということで
スランプの作家(エマ・トンプソン)の作中人物だが、
どういうわけか現実に生きている。
「作者」はどうやって「主人公」を死なそうかと狂ったようにのめり込んで、いろいろ考えているところで
「主人公」に「作者」のナレーションが聞こえ始める。
その主人公=「数字の男」にアドバイスする「言葉の男」がダスティン・ホフマン。
終り近くになって「主人公」が死ぬ草稿を読んで、これ以外の結末はない傑作、とする文学教授だ。(なぜか大学のプールの監視員もしている)
「主人公」もバスの中で夢中で読みふけって、納得して死ぬことにしたらしい。
(^_^;;
…が「作者」が気を変える…。「主人公」にあってしまったので。運命がわかった上で死ぬというのは「英雄的」だから?
結末の書きなおしで、
話はまぁまぁになってしまった…ということで、また話の始めの方を書き直すのだそうだが〜〜
「主人公」と「作者」が同じく生きている世界とは
不条理?
「主人公は僕だった」: 物語の終わり…
…
話戻って、がんばった後というのは、とにかく、物語の終わり。
エアーポケットです。「主人公」でも「作者」でもない。誰かの物語の「わき役」か?
疑問なく、主人公=作者=私であるのが、人生の幸福ではないかしら。
そこで。
先ほど挙げた
名言集どっとこむで[映画の名言] などをふと見てたわけですが…
ヘミングウェイが書いていた。
『この世は素晴らしい。戦う価値がある』と。
後半の部分は賛成だ。
出典は
セブン だそう
戦線復帰がちょっと…しばし…(^_^;;
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