水脈

・・谷川俊太郎(「手紙」集英社)


逆らえぬ感情には従うがいい
それが束の間のものであろうとも
手を取らずにいられぬ時には手を取り
目の前の人の目の中に覗くがいい
悲しみと呼ぶことで一層深まる一つの謎
生まれおちてからこのかたの日々のしこり
その人しか覚えていない黄昏の一刻(ひととき)の
闇に溶けこむ暗がりにうつるあなた自身を 一人がひとりでしかありえぬとしても
私たちの間にはふるえる網が張りめぐらされていて
魂はとらえられてもがく哀れな蝶
だからときとしてみつめあうしかないのだが
どんな行動も封じられているその瞬間に
かえって私たちは自由ではないのか
慰めの言葉ひとつ浮かんでこないからこそ
心はもっと深い水脈へと流れこみ
いつか見知らぬのに開く花の色に染まって
大気のぬくもりと溶けあうだろう

2010-10-30の花集めkotoba.html