青春の絵では二十二歳の青木繁が描いた「海の幸」が好きだ。大きな獲物を担いで波打際を歩いて行く漁師たち。金色の空、群青の湖、足もとは白い波が砕け、魚のうろこは夏の陽光にぎらぎら光っている。そしてそうした漁師の群れの中に、作者は己が愛人の白い顔を嵌め込むことを忘れていない。
老いの絵では八十九歳の鉄斎が描いた「梅華書屋図」がいい。峨峨たる岩山に囲まれた仙境のあちこちには梅樹が配され、今を盛りと白い花は乱れ飛んでいる。梅林の中の書屋では元の王元章が書を読んでいる。人も華やぎ、梅花も華やぎ、仙境全体が華やんでいる。しかし、本当のことをいえば、書屋の中の人物は王元章ではなくて、鉄斎自身なのだ。
深夜眼覚めて、時にこの二つの絵のことを思う。青春は「海の幸」の如くあるべきであったし、老いは「梅花書屋図」の如くあるべきであるに違いない。私は青春への悔恨と、老いへの絶望の中に眠ろうとする。救いは、悔恨も、絶望も、いささかもじめじめしていないことだ。潮の匂いと、梅の匂いの中に私は眠る。
井上靖詩集「二つの絵」
(清岡卓行編 彌生書房 世界の詩シリーズ)
2012年12月21日(金)
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