懸崖撒手

「懸崖に手を撒して、絶後に再び蘇える」

 
 「向上の一路はヴァイオリンなどで開ける者ではない。そんな遊戯三昧で宇宙の真理が知れては大変だ。這裡消息を知ろうと思えばやはり懸崖に手を撤して、絶後に再び蘇るくらいの気塊がなければ駄目だ」と独仙君はもったいぶって、東風君に訓戒じみた説教をしたのはよかったが、東風君は禅宗のぜの字も知らない男だからとんと感心した様子もなく、「へえ、そうかもしれませんが、やはり芸術は人間の渇仰の極致を表わしたものだと思いますから、どうしてもこれを捨てる訳には参りません」

「吾輩は猫である」第十一章(最終章)google books
『碧巌録』第41則からという

禅語に学ぶ 生き方。死に方。』 (西村惠信著・2010.07 禅文化研究所刊)
臨黄ネット:命を賭して道を求めよ 直須懸崖撒手自肯承當

懸崖に手を撤(さっ)して・・・という意味は、思い切って物事を行うということだというが、バンジージャンプより足がすくみそうです(( ( (ヽ(;^^)/ 20170208