言葉言葉言葉:猫頭のノート 花冠

       

「緑衣」

緑衣

詩経 邶風(はいふう)

毛詩序:「《綠衣》,
衞莊姜傷己也。妾上僭,夫人失位而作是詩也。」
綠衣
綠兮衣兮,綠衣黃裏,心之憂矣,曷維其已。
綠兮衣兮,綠衣黃裳,心之憂矣,曷維其亡。
綠兮絲兮,女所治兮,我思古人,俾無訧兮。
絺兮綌兮,淒其以風,我思古人,實獲我心。

詩経 邶風の「緑衣」は、あの「我が心は石に在らず」の「柏舟」 の次におかれ、白川静 の『詩経国風』(平凡社東洋文庫)の解説では、亡き妻が作った服を見ながら、夫が妻を悼んでいる悼亡の詩であった。

ところが、藤堂明保監修の『詩経【中国の古典】』(学習研究社)は大いに違っている。
現在の妻との愛情の食い違いから起こる前の妻への追慕とする。
緑衣を二つの実体(色と物)に分けた言い方で、色に強調点が置かれる、とする。
「緑衣黄裳」を上衣が緑なのに裳が黄色で「ちぐはぐ色」とし、
「心の憂い」を、(ちぐはぐ色の憂いのたねは)とする。

白川静によれば、それは「亡き人に心憂うる」である。


「衣のイメージと色のシンボリズムに特色があり、衣のイメージは、それを作るものと、それを着る者との間の愛情関係を暗示させる、色のシンボリズムは、古代中国では正色(原色)が間色よりも尊いとされる。したがって、衣の黄/緑の配色は、表/裏、または衣/裳に、黄(正)/緑(間)が対応しなければならない。しかるに今いずれも対も倒錯している。これは愛情関係の食い違いを意味する。 衣の材質である糸に立ち返って、緑に染めた人(現在の妻)と、間違いのなかった古人とが対比される。」
・・・・藤堂明保監修の『詩経【中国の古典】』(学習研究社)

うむ。

ネット検索でも、引用は立派な国語辞典からのようだが、緑を卑しい色としている。
そういった知識に傾いて、詩情を解していない。

白川静は、衣という字が霊の依る所であり、

衣装を掲げて古人を偲ぶ詩。 衣は魂を包むものであり、受霊の儀礼にも衣を用いた。美しい悼亡の詩である。

(wikipedia)各地の民謡を集めた「風(ふう)」すなわち国風(160篇)


https://akahiro.at.webry.info/200905/article_7.html
「緑が中色 黄が正色を意味するから緑を妾 黄を妃とみて 「緑衣黄裏」「緑衣黄裳」を賤妾僭上を意味するものである、 という説があるが、それは誤りと白川静氏は言っています」

http://shutou.hatenablog.com/entry/2015/02/05/085058