2003/12/22
「羽」
hane
クリスマスの象徴的物語「クリスマス・キャロル」
A Christmas Carol (1843)
チャールズ・ディケンズ
(Charles Dickens, 1812-70)の中編小説
 
けちん坊の老人スクルージが、クリスマスの前夜に
幽霊の訪問を受けて自分の過ちを教えられ、
後悔して温かい心の持ち主になる物語。

個人が同胞に対して善意を抱くことこそ
社会改革の基本であるという信念を示した物語。

デッケンズすなわちクリスマス精神とをいう
一般的評価を確立すするのに貢献した。

(小池滋先生)
Classics at the Online Literature Library
http://www.christmas-carols.net/
                     
人生…二つの”永遠”の間のわずかな一閃。

             カーライル Carlyle.Thomas(1795-1881)



ところでこの「クリスマスキャロル」は
カーライル(Thomas Carlyle, 1795-1881)の「衣装哲学」(1834)と
ゲーテの「ファウスト Faust」の影響がいわれている

痛ましい過去の記憶のためクリスマスを素直に祝えなくなり
忘れ去りたいという一心から

幽霊の贈り物
(過去の悲しみ、災い、苦しみの記憶の抹消)を
受け取ることにする。
贈り物が祝福というより
ファウスト的取引であると指摘される。(by Paul Davis)

カーライルCarlyle.Thomas(1795-1881)の「衣装哲学」は
原題 Sartor Resartus(ラテン語で仕立て直された仕立屋)

時の経過と共に付着したキリスト教神学と言う衣服を
キリスト教から剥ぎ取り「裸の事実」に迫ろうとした

『衣裳哲学』(1838)は理想主義に惹かれながらも満足できぬ
ロマン派の苦悩という解説が・・
井桁貞義の(早稲田大学)研究室へようこそ!


それで、ずいぶん久しぶりに思い出しましたが、
デッケンズというと自伝的小説の 

”David Copperfield”(1849-50)もおもしろかった記憶が・・

ちなみに夏目漱石(1867-1916 享年50歳) はカーライルを尊敬していて
1900年イギリス留学中「カーライル博物館」に何度も行っている。
処女作は『吾輩は猫である』(1905)


「衣装哲学」の話を続けたいと思いましたが、
それはまたにして・・・・
以下のくだりは百科事典からで、ネットにごろごろしていますが、一応出しておきます


クリスマスとは、キリストChistのミサmassでchristmas 
 Xmas のXはギリシア語つづりのキリストの第一字を用いた書き方。



ちなみにクリスマス行事が12月25日に行われるようになったのは
冬至に大きな祭りを行うことは古い時代の慣習で
キリスト教はこれと同化・習合の方針をとったため。

ゲルマン人の冬至の祭り ユールについてはよくわからないが
ローマ人の冬至の祭りについては詳細な記録が残っているという。
(百科事典 服部幸三)

起源

初期キリスト教徒はクリスマスを祝わなかった。
クリスマスが12月25日に固定されたのは
教皇ユリウス一世(在位337〜352)の時。

12月25日はローマの冬至の当日であった。
その日は《征服されることなき太陽の誕生日》として、
3〜4世紀のローマに普及していたミトラス教の重要な祭日であった。

12月17日から24日までは、サトゥルナリアと呼ばれる
農業神サトゥルヌスの祭りが行われていた。
この期間家々には赤々と火がともされ、常緑樹が飾られ、
ドンちゃん騒ぎも行われた。
このようなローマのサトゥルナリアとゲルマンのユールの祭りの時期が
イエスの降誕を祝うクリスマスとして選ばれた。

ミトラス教はキリスト教の強敵であった。
コンスタンチヌス一世は
321年に毎週の休日を太陽の日(dies solis=sun day)と
呼ぶことに決めた。
ローまでクリスマスが12月25日に祝われたのは
336年以前であった。

中世

597年イギリス伝道開始
この日はイギリスでは「母たちの夜」と呼ばれ、
母なる女神の聖なる祝日だったという

イギリスのクリスマスはユールと降誕節の習合として成立し、
11世紀までは冬至祭またはNarivityと呼ばれた。

宗教改革以後

イングランド教会の三大祝日の一つとして祝われた

ピューリタン革命時代
ピューリタンはクリスマスをバッカスの神の祭りと嘆き、
スコットランドで1583年に長老派がクリスマスを廃止した。
反対暴動が起きた。

王政復古《1660》以降

再び、教会の三大祝日となり、
自由に祝えるようになったが、
ドンちゃん騒ぎも廃れ、宗教心も薄れていった。

ビクトリア時代(チャーチスト時代)
19世紀中葉クリスマスが蘇生した。
子どもを中心とする行事になり、
クリスマスツリー・サンタクロース
クリスマスカードが導入された。

デッケンズは「クリスマスキャロル」をはじめ
いくつかの文学作品を刊行し
クリスマスの楽しさ陽気さを伝え、クリスマスのあるべき姿、
物質的楽しみを享受するために果たさねばならない
慈善などの義務を教えた。
ここにみんなで祝う楽しいクリスマスが成立した
           (平凡社百科事典服部幸三)

サトゥルヌスSaturnus
古代ローマの農業神
その名は「種をまく者」の意
ギリシアのクロノス(ゼウスの父神)と同一視された。
神話では、ゼウスに王位を奪われた彼はイタリアに来住
ローマのカピトヌスの丘に一市を建設して王となった。
そして未開野蛮の民に農業とその他の様々の有用な技を教えて
太古の黄金時代を築いたという。

神殿はカピトリヌスの丘のふもと、フォルム・ロマヌムの西端にあり、
伝承によれば、前497年に奉献された。

(百科事典 水谷智洋)
H・アルデグレーフェル(1533)の絵
パリ・ビブリオティーク・ナショナル
Roman Gods and Goddesses
Mithras

ミトラス教Mithraismについて

Persian god of Zoroastrian origin
ペルシア起源の神ミトラスを祭神とする密儀宗教
ローマ帝国内において
1世紀後半から4世紀中葉まで流行したが
キリスト教の普及と共に衰退した。

前1世紀にシリアや小アジアのギリシア化した
マズダク教神官(マギ)たちがこの新宗教を樹立した。
信徒たちは七つの位階に分かたれていた。
上から
父 太陽の使者 ペルシア人 獅子 兵士 花嫁 大鴉
と名づけられていた。

ミトラス神殿祭壇には
「牛を屠る神ミトラスの図」(浮彫 聖画 丸彫等)が
安置されていた

信徒は現世の苦難から
ミトラスの英雄的行為で救済されると信じていた

(百科事典 小川英雄)
『ローマ帝国の神々―光はオリエントより 』 
小川英雄著(中公新書・780円)
男性結社

銀月さんちの「新・星のしるし」
 http://homepage3.nifty.com/silver-moon/aster/isk.htm
ミトラがまとっているマントは天空をあらわし、
そこにはいくつもの星が輝くとされました


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