2022アドベントカレンダー

井本英一著『十二支動物の話』

2023年はウサギ(兎/卯 癸卯)年 
井本英一著『十二支動物の話』の 「兎の話」を見てみました。文献渉猟が凄い。
ちなみに副題というか正式名には「子丑寅卯辰巳篇」がつく。法政大学出版局1999年刊。十二支の半分のみなのが残念。
Amazonでは「この商品を購入したのは2009/1/17です。」と出てきます。(笑) 分野は文化人類学・民族学。



(井本 英一(1930 - 2014)イラン学者wikipedia

内容説明

(Amazon)内容(「BOOK」データベースより)
十二支動物のうち、鼠、牛、虎、、竜、蛇にまつわる古今東西の神話・伝説・説話を集成し、それらを自在に比較考証しつつ、人間が動物とのかかわりを通じて形成してきた習俗や世界像を浮彫にし、十二支に秘められた意味を解き明かす。
内容(「MARC」データベースより) 十二支動物の内、鼠、牛、虎、兎、竜、蛇にまつわる古今東西の神話・伝説・説話を集成し、それらを自在に比較考証しつつ、人間が動物とのかかわりを通じて形成してきた習俗や世界像を浮彫にし、十二支に秘められた意味を探る。

 目次

十二支の源流
鼠の話
牛の話
虎の話
兎の話
竜の話
蛇の話

兎の話

兎は魂の宿り主

(p177)うさぎの正字は「兔」であるが、俗字「兎」をつかう。
菟(と)と免は似ているので、「免職」の隠語。
兎(と)は吐(と)と音が似ているので、兎は口から生まれる、そのために上唇が欠唇になっているという俗信が古くから中国にもあった。

『本草綱目』(26、巻51、獸部 兎)1578 李時珍作(明王朝1518 - 1593):世界記録遺産
『和訓栞』(後篇 兎)谷川士清(ことすが) 国立国会図書館デジタルコレクション
アラビアンナイト(バスラのハサン)(前嶋信次他訳 東洋文庫全18巻別巻1966ー92) 

(p178)兎小屋;日本人の狭い住居
フランス語で団地の暗喩が英語で誤訳された。

日本事物誌』チェンバレン(東洋文庫1965)
誤訳される日本 山本 七平、 ベン=アミー シロニー 著, & 1 ( 光文社カッパ・ビジネス新書–1986)

累加物語
「ザ・ストロンガー・アンド・ザ・ストロンゲスト」のタイプ

『南方熊楠全集』1(平凡社1971)p46『虎に関する史話と伝説・民俗』南方熊楠引用:シャフネル「西蔵説話」

兎を人間の魂の宿り主とする思想は一方では人間の外魂の容器であるとの考え方を発展させた。
(p181) 普通の野兎でなく「白化した白兎」が神聖視された。

日本昔話事典』弘文館1977(国文学・民俗学・人類学・歴史学者170名が口頭伝承を、要素・モチーフ・話型・昔話・伝説・神話・語りもの・民謡・ことわざ・他国の昔話などに分類。わが国で唯一の事典。)

兎が獅子を殺す話

(P182)狡兎は、知恵でもって愚鈍な獅子を殺す。一番弱い動物のようで一番強い獅子を殺す。兎の中に人の魂が宿っているため百獣の王をたやすく騙せるのであろう。

インド系物語 『パンチャタントラ』『ヒトーパーデーシャ』『鸚鵡七十話―インド風流譚』(田中於菟弥訳 東洋文庫1963)
イソップ寓話集(岩波文庫 中務哲郎訳1999)
『動物寓話集』(関楠生
アフリカの神話的世界(山口昌男著 岩波新書– 1971)
トリックスターポール・ラディン , カール・ケレーニイ & 5著(晶文全書 – 1974)
朝鮮の王権と神話伝承(依田 千百子著–勉誠出版 2007)

※トリックスター(英: trickster)とは、
神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を展開する者である。 往々にしていたずら好きとして描かれる。 善と悪、破壊と生産、賢者と愚者など、異なる二面性を持つのが特徴である。 この語は、ポール・ラディンがインディアン民話の研究から命名した類型である。カール・グスタフ・ユングの『元型論』で取り上げられたことでも知られる。(wikipedia

狡兎死して走狗にらる
史記にあらわれる故事成語
『史記』(巻41・越王勾践世家、 卷092列伝 第32 淮陰(わいいん)侯列傳)(コトバンク)(ソース)
初出は『韓非子』内儲説下

兎狩り

冬になって兎の毛が白くなり、ウサギが安心した時にする冬の行事。前肢に比べて後肢が非常に長いので、山丘の下から上に逃げるのは得意。逆は不得手。そこで、山裾に網を張り、丘の上から追いおろす。
兎の数え方を一羽、二羽というのは、網にかけて鳥をとるようにしてとるのでそう呼ぶという説。
狩りとった兎は古くは田の神として殺され、祭壇に祭られたと考えられる。

狩猟』直良信夫著 法政大学出版局1968
狩猟伝承』千葉徳爾著 法政大学出版局1975
ものと人間の文化史 シリーズ217冊 20221129現在)

「株を守って兎を待つ」:故事の出典『韓非子』
株は田の中の、土地の神、田の神、穀物神を殺す祭壇
このような木の株は英語で、ユ―ル・ロッグと呼ばれ、クリスマスの時に掘り出して、炉石代わりに置かれる。

Yule logユール・ログ、ユール・クロッグ、またはクリスマス・ブロックは、ヨーロッパ、特に英国、そしてその後の北米の地域で、冬の伝統として囲炉裏で焼かれる特別に選択された丸太。(wikipedia) 
The custom has now long been replaced by the eating of a log-shaped cake, also named Bûche de Noël.
クリスマスイブから1晩以上ユールログを燃やす習慣は、丸太の形をしたケーキを食べる事に置きかえられた。

因幡の白兎の説話

求婚者のうち最も強い有能なものが女性を手に入れる。
大国主命が背負っている袋は魂の袋。婚姻でトーテムである動物の皮を剥いでその皮を被る儀礼があった名残。死と再生の儀礼、禊。

(p190)因幡の白兎は神じたい。そのことばは神託。
諸橋鐵次『十二支物語』p86 韓退之の文 秦の始皇帝の臣が楚の征伐に出かける前に吉凶を占った。「不思議な獲物がある、その毛をとって文字を表わしたら、天下はその書と同じくし、後世永くその恵沢を受けるであろう。」

『歎異抄』親鸞が弟子の唯円にいった言葉
人間のつくるつみは、兎の毛や羊の毛の先の塵ほども宿業でないものはない。

ないものはないとはあるという事?以下途中ですが、 20221201現在

「かちかち山」の兎

「かちかち山」の狸と兎
農耕儀礼と関係がある。古く、かまどは入り口の敷居のところにあった。入口の敷居は祭壇で、敷居の下に死体を埋めた時代があった。

埋められたタヌキはかっての祖先神。山(田)の神を呼び出して殺し、田の祭りをした文化があった。婆を炉とかまどの女神のなれの果てと考えれば、老衰した火の女神を殺して火を活性化する儀礼もあったと思われる。

(p192)前段の婆汁の狸の話と後半の知恵のある兎の話はは本来別の話。(柳田国男)カチカチ山の狸は生け贄にされる山の神(田の神)。その伝承が断絶し、タヌキが婆を殺す話に発展。そこで、別の田の神である兎を登場させる話に仕上げた。

柳田国男監修『民俗学辞典』東京堂1951
定本柳田国男全集』 第六巻 「昔話覚書」(筑摩書房1968)

復活祭における野兎の習俗

兎は農耕儀礼と関係があった。ヨ―ロッパでも同じで、復活祭の兎としてかってはその習俗が広く保たれていた。

野兎は本来、イースターの語源となったサクソン族の春と暁の女神であるエーオストレの聖獣であった。そしてこの野兎が復活祭の卵を持ってくると信じられていた。

C・ホール「英国の民俗」(ロンドン、1976)

兎はギリシアではアフロディテの寵愛する動物であり、ゲルマンでは大地女神ホルダ女神を先導する動物といわれている。

植田重雄『ヨーロッパ歳時記』岩波新書1983

中世ヨーロッパでは、古代セム族の生殖豊饒の女神アスタルテの聖獣でもあるので、結婚指輪は兎の姿を彫って子孫繁盛を願った。

中村凪子〔『is』第21号 ポーラ文化研究所 1983

アイルランド人は兎は目が大きく、家畜に邪眼を投げかけるのは確実であるため、魔女であると考えた・そこでメーデーに兎を根こそぎ殺す習慣があった。

J・ヘイスティング『宗教・倫理百科事典』第5巻

豊饒と淫奔の象徴としての兎はキリスト教世界では聖母マリアの足元に配されたが、聖母が肉欲を克服したことを示すものとされた。 白い兎は白によって浄化されら生殖、聖母マリア感応からの勝利を表すとも説明されている、

「月刊百科」平凡社1987年1月号p41

兎は神と人間の仲介者

兎は神時代であり、同時に神の使者や眷属と考えられたらしい。 従って、兎は、神と人間の中間に位置する注解者の立場にあったといえる。

アフリカでは、兎はトリックスターとされるいっぽう、人間に火をもたらしたり、鍛冶技術を教えたりする文化英雄でもある、

兎が後ろ足で地面をたたく秋声は、兎が杵を搗いたり、鍛冶j仕事をするのを連想させたらしい。

古代オリエントやヨーロッパでは、兎は大地母神の使者であるが、中国では大地母神である西王母の使者になっている。

後漢以後の墓から出土した壁画や画像石などに描かれている昇仙図には、決まって西王母が登場する。眷属として、三足烏、兎、ひきがえる、九尾狐などが配されるのが普通。

「月刊百科」平凡社1984年5月号、中野美代子「銀漢渺茫」

大地母神ばもともと地下の神であり、穀霊でもある兎も地下のものであるので、再生を祈願した絵馬の一種と考えてよかろう。

聖母マリアの足元に白兎を拝する意味についていろいろ言われているが、マリアはキリスト教以前の大地母神の連続そのものであるので、兎もそれと一体になって伝えられたのである。

一方、西王母は崑崙山に住む山の神であり、野獣たちの女主人であった。
異界である墓にいる女主人の胎に入る死者の魂も、すぐに人間に生まれ変わるのではなく、野獣に生まれ変わってから、順次再生した。

内藤正敏「月山の兎と闇のフォークロア」(『自然と文化』1985、日本ナショナルトラスト)羽黒山で大晦日に行われる松例祭の兎の神事では、兎は月山権現の使者で、女性原理は見られない。

西王母は太陽の中にいる三足烏と月の中にいる兎を従えている。西王母のそばにいる三足烏は、西王母のために食物を探してくる使者で、白兎は仙薬を搗く。

墓室内での死から再生へと向かう過程で母なる西王母と、兎と烏は三位一体になっていたと考えられる。
兎と烏が月と太陽の象徴として固定しない姿。

京都市の上賀茂神社などの神饌にブトという菓子がある。伏兎という字を当て、その姿も伏した兎に似せてつくる。現実の生け贄動物に代わって、菓子やパンの像をそれにあてる習慣は古くから各地で見られた。

ヘロドトス :古代エジプト人の満月の日の生け贄豚のパンの話
中国の『荊楚歳時記』:紙や板に犠牲獸の絵を描く
朝鮮の李朝の歳時記『東国歳時記』:12月のおわりにの兎狩りをしてその肉を食べる(『朝鮮歳時記』洪錫謨 (姜在彦校注、東洋文庫、1971)

孔子と孔門十哲を祭る釈奠(せきてん)では、こうじや酒で味付けした兎の肉の塩漬けである(かい)をそなえた。

日本:人見必大『本朝食鑑』5(島田勇雄訳注、東洋文庫、1981)

me 釈は「置く」、奠は「据える」という意味の文字で、釈奠とは孔子やその門人の霊前にいろいろなお供え物を置き据えるお祭りだという。(東京国立博物館 https://www.tnm.jp/

孔子(紀元前552/551 - 紀元前479)(wikipedia)

兎は万物の豊饒のシンボル

兎は東西にわたって、季節の変わり目で出現する動物であった。

ケルト民族の古俗:メーデー前夜の火祭り(ベルテーン祭)で、魔女が兎に変身する。
ドイツではこの夜を、ワルプルギスの夜という。

フレーザー『呪術と王発生』第2巻、ロンドン、1911

中国 では、嫦娥が老嫗(おうな)の姿に転身し、兎の術で夜中に兎となって月中で薬臼を搗く。

古代ギリシアでは、アッティカの秋のテスモポリア祭の時、デメテルとペルセポネの裂け目という深い亀裂の中に、豚・菓子・松の枝などを投げ込み、翌年の春、これらの腐りかけを種子に混ぜて蒔いた。

あるいはクリスマスの時に、最後の刈り取った小麦で、「クリスマスの猪」をつくり、翌春の播種期にこれを砕いて混ぜる。最後の株には穀霊が宿っていて、この穀物を用いてつくった菓子には死から再生する穀霊が宿ると考えられたのである。

フレーザー『穀物と野生動物の霊魂』第2巻、ロンドン、1912 p17

兎はなぜ月の中にいるのか

穀霊がトーテムあるいは祖先霊と同一視される時代や文化があった。

『大唐西域記』巻七:この世の初め、狐・兎・猿が仲良くしていた。あるとき、帝釈天が老夫の姿になり、三匹の動物に、腹がへったので、何か食べ物をくださいと言った。狐は川から鯉を口にくわえてき、猿は木に登って珍しい果物をとってきて老夫にすすめた。兎は手ぶらで帰ってきて、跳びはねて遊んでいた。「兎は狐と猿に頼んで薪を集めてもらい、老夫には自分を食べてくださいといって、火の中に飛び込んで焼け死んだ。老夫は元の帝釈天の姿に戻り、兎をよみして月の中に入れて後世に残した。

メキシコでは神が兎を月面に打ちつけたためであるという。
ズルランドやチベットでは、月の満ち欠けは良い兎と悪い兎が入れ代わるためだという。

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『淮南子』「月の中にはヒキガエルがいる」
『楚辞』天問」「月には何の徳あって、死んでもまた成長するのか。いったい何の利益があって、思うに、兎が月の中にいるのか・

出石誠彦『支那伝説の研究』中央公論社1943 p28、82
(国立国会図書館デジタルコレクション)

ナマクワ、ホッテントット、ブッシュマンらの説話でも、月に兎がいて、この兎が月から人の世に不死のたよりをもたらすという。

ホッテントットの話:月はかって兎を使わして、人間に、死んでも月のように復活することを告げさせようとした。ところが、兎は忘れて、人は死に月のように再生しないものと告げたので、その時から人は死ぬようになった。兎は帰ってお月にそのように報告したので、月は怒って棒を投げて兎の唇を裂いた。

N・ネフスキー『月と不死』で引用のフレーザー『不死信仰と死者崇拝』第1巻、ロンドン、1913

日章旗の起源:中国古代の宮廷と軍隊には三本足の烏が棲んでいる太陽や、兎と桂の木のある月などの絵がついた国旗や軍機が用いられていた。
日本にはこれらのものが入ってきたが、太陽と月の旗は皇室の標章として残された。しかし烏や兎は省かれた。
1859年(安政六年)、ヨーロッパの国旗に相当するものが必要となったとき、日章旗が登場したのは自然の成り行きであった。
十六の重弁をもった菊花(これは光線を放っている太陽の変形にすぎない)は皇室の紋章と定められた。
十六条の光線を描いた軍機は同じ考えに基づく変形であり、16という数そのものは、中国の土占いの観念に遡ることができる。

チェンバレン『日本事物誌』1で紹介のW・G・アストンの説
補足;「十六弁の菊花と、十六条の光芒をもった日章旗の太陽を同一のものと見たアストン説の当否は別として、明治期の英人の観察として興味がある」 (井本英一)

法隆寺の玉虫厨子の須弥山図の上方に、三本脚の烏と向き合った兎の姿を見ることができる。

兎の排泄孔は雌雄とも一つで、雄の性器は孔の中に隠れていて見えない。このため、兎は同性愛のシンボルとされることもある。

日本では月中の兎は餅を搗くが、中国では仙薬を搗くといわれる。

諸橋 轍次『十二支物語』(大修館書店 1968)

中国でも中秋名月の日には、月餅というお菓子を食べるし、しかも月餅の包み紙には兎の絵を書くから、月と餅の関係が全く見られないわけではない。 
中国の餅はモチ米を蒸して搗くものではなく、小麦粉をこねて蒸したもの。


敦崇『燕京歳時記』(小野勝年訳、東洋文庫、1867)にある中秋月餅は大なるものは直径尺余もある。黄土で創った「兎児爺」を売る・

兎をめぐるタブーと俗信

南方熊楠が漁師に聞いた話:猟に出かける途上兎を見かけると引き返すことが多い。その理由は犬が夢中になって追うので、主命を用いないためだという。

ティコ・ブラーエ(16世紀のデンマーク天文学者)は野兎が道を横切ると、それ以上道を進まなかった。
(魔術師が変身した姿で凶兆。)
兎に対する俗信には強固なものがあった。

南方熊楠
F.T. エルワージ 『邪視』奥西峻介訳、リブロポート、1992
ヘイスティング『宗教・倫理百科辞典」5,1912、p610
J・マンデヴィル『東方旅行記」大場正史訳、東洋文庫 1964

海上でも兎はタブーとされた。
アイヌは、海上に白波が立つのを「兎が飛ぶ」と言い、沖では兎の名を口にしない。

穀物が実って風に揺らぐ様子を見て、人びとはその下を狼が走るとか、野兎が走るとかいう。穀霊としての動物が波を立てるという言う観念があった。そうすると、聖母像の下にある兎と同じ豊饒の地母神の使いという事になる。

兎が神性を持つ文化は一般に古層の文化ある・

フレイザー『金枝篇』(三)「動物としての穀物霊」永橋卓介訳
更科源蔵「神である動物たち」(『えとのす』第4号。新日本教育図書、1975)
A・J・ハーンサリー,サーデク・ヘダーヤト『ペルシア民俗誌』岡田恵美子・奥西峻介訳 東洋文庫 1999 p255

兎の道切り
古代イラン人のタブー。兎が目の前を横切るのを見て、ダリウスは失っても構わない弱い兵士を残して撤退した。

ヘロドトス『歴史』四・131-35

ユダヤ教徒の戒律。(レビ記)
食べるのをタブー視された動物は、かっては毎年一回あるいは二回、異教の時代には、神として食べられていたのではないか 。宗教儀礼として墓場でひっそりと食べられた。(イザヤ書)
エジプトでは、年一回の祭りで豚を食べたが、その他の日には豚は忌むべき動物であった。

『後漢書』の蔡邕さいようの母の墓に兎がやってきて遊ぶ話。『史記』の方儲の母の墓にはさらに鳥が集まったとある。

「もっと知りたい!三国志」というサイトあり。
蔡邕伝 (132または133〜19261歳没)
孝行で知られる「 母が亡くなるとお墓の側に粗末な小屋を建て、常に礼に従って行動したため、蔡 邕 の周りには兎が集まり懐き、連理木が生えたと言われています。」

諸橋 轍次『十二支物語』(大修館書店 1968)
大場磐雄『十二支の話』(ニュー・サイエンス社 1980)

瑞獣としての兎

古来白い動物が瑞兆として献じられた。白兎も報じられたことが、『後漢書』などに見られる。
しかし白兎より、赤兎の方がもっと瑞祥で、王者が徳盛んなれば現われるという。白兎は王者が老人を敬すれば現われるという。

奈良県の藤ノ木古墳出土の鞍金具の静和に、パルメットと共に兎や象や獅子が描かれている。6世紀の日本や東アジアでは、兎が瑞獸の一つに数えられたと考えられる。
中宮寺に残る天寿国曼荼羅には月中で餅を搗く兎がはっきり読み取れる。6世紀の中国の『荊楚歳時記』には兎は現れない。違った文化の世界があったことを物語る。

幸運を手にする呪(まじない)として兎の足を持ち歩く。
野兎の足首の骨は腹痛の妙薬になる(条件があるが)
兎の足は極めて速いので、呪術性を持っていた。

野兎のしっぽを子供の枕の下に入れておくと、子どもは熟睡でき、兎の血を馬にやると、馬は速く走れるようになる。
兎と馬を足の速い動物とみなす伝統は中国にもあり。関羽の所有に帰した名馬の名は赤兎。

フレイザー

穀霊は動物の尾と血に宿る

穀霊が、最後に刈り取られた茎に逃げ込み、そこに宿るという信仰歯用の東西を問わずみられる、ミトラス教の彫刻に例が見られる。ミトラスが犠牲の牡牛の背にまたがり、わき腹に刀を突きさしている。この牡牛の尾は三股に分かれていて、その一つは麦の穂のついて茎として描かれている。新しい穀霊は尾に宿ったのであろう。いけにえの尾と血は王のものとされた。

フレイザー『穀物と野生動物の霊魂』第2巻

300匹の白兎の尾で作られたオーストラリア人の腰部装飾物は、その物自体のためにに多大の称賛を惹起するが、その着用者がこのように多くの尾を集めるために行った狩猟の技術の証拠であるのでいっそう称賛される。

グローセ『芸術の始原』 安藤弘訳岩波文庫1936  p165

兎の精の宿るもう一つの場所は兎の肝。竜王の病気は千年を経た兎の肝でないと救うことができないという。賢い兎は鉄砲玉に似た糞を、葛の葉に包んで竜王に献じた。竜王はそれを食して病気が癒った。

朝鮮の『パンソリ』申在孝 東洋文庫( 平凡社 1982)

殷周時代以来の墓から出土する3㎝ばかりの兎形の玉兎は腰にぶら下げるようにしてある佩玉であった。(伏した兎の形)

中国の寓話:龍王の娘が心臓を患った時、兎の肝で治せると医者が言うので、亀が甘言を弄して兎を背中に載せ竜宮に帰った。 途中、亀がそのことをいうと、兎は急いでいたので、肝を地上に忘れてきたので、岸に戻してくれたら渡すと言い逃れた。

イランでは馬に兎の血を飲ませると馬は息が長くなって速く走れるという。
中国の金丹の法:采女丹法で兎の血を混ぜた丸薬を一日3回100日服用すると、神女二人がかしずきに来る。

J・モーリア「ハジババの冒険」(イラン)類感呪術
『抱朴子、列仙伝・神仙伝、山海経』平凡社1969、p35

シンボルとしての兎

兎はアフロディテの使いなので、古くから結婚指輪に兎を彫った。(多産のシンボル)
交尾の後排卵するしくみ(浮気っぽさ)
兎の欠唇の形の連想
江戸時代に遊郭に通うものが羽織を頭からかぶった様から兎と称する

バートン版『千夜一夜物語』第787夜

古くはヘブライ人の間で、兎は同性愛者のシンボル、(排泄行が一つしかないように見えるため)
兎糞(トフン)は2種あり、クリーム状のは盲腸でできv12を含むので食う習性を持つ。それが不浄動物とみなす原因の一つとなった。
中国の伝承ではウサギは毎年尻の穴を増やし、ついには九孔になるという。

『本草綱目』

兎の肉は美味で、キジ、ヤマドリ肉に並ぶものとしている。
兎は鳥のように網で捕る事以外に、鳥に類する味を持つため、一羽二羽と数えるようになったのであろう。
四足獸を食うことが禁じられた徳川時代に、イノシシをヤマクジラと言って食ったように、兎は「ウ」と「サギ」出、鳥の仲間だと言いくるめた、あるいは兎の耳を羽のように感じて、一羽二羽と呼んだとも考えられる。

『本草食鑑』
宮地伝三郎『十二支動物誌』(ちくま文庫、1986)

兎の穴

アナウサギ(イエウサギ)の習性は穴を掘ること。
古来多くの兎の島が知られているが、これは逃げ路を防いで兎縁の壁を維持するのが難しいので、それを必要としない小さな島が利用されたのであろう。

ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』:地下の兎の穴の世界の童話的ファンタジー・・狩猟者である英国人のもつ伝承や民族とは別のいわば隠れ里のような世界。

me→関連各頁参照

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