2022アドベントカレンダー

20221204

明治の兎絵

来たる2023年はウサギ(兎/卯 癸卯)年 ‥という事でウサギ尽くしをやっています。次は、浮世絵の兎。江戸の兎を見ようと思います。しかし、以下をよく見ると。この浮世絵の兎は明治の兎でした。

浮世絵のウサギたちをご紹介します - 太田記念美術館

兎絵

me明治時代は兎絵というものが流行したそうです。「日本型資本主義の初期に起こった突発的原始的蓄積の現れであったといえる」と。 wikipedia

歌川 芳藤(うたがわ よしふじ)
1828〈文政11年〉 - 1887〈明治20年〉
江戸時代から明治時代にかけての浮世絵師。歌川国芳の門人。wikipedia

歌川芳藤 『兎の大相撲』は兎絵の例に挙げられている。(大判3枚続 明治6年 木村定五郎版 悳俊彦コレクション)

変わりダネの税

me又その兎絵の関連でウサギ税というものがあったそうだ。 兎税(国税庁)


~日本画家・竹内栖鳳の「宇佐幾」がラベルに~
「辛丹波にごり720ml瓶詰 干支ラベル」限定発売!

竹内 栖鳳

meもう一人の「伝統的な」画家だが・・竹内栖鳳・やはり「班猫(はんびょう)」(1924)が凄いと思うが、兎なども飼って、写生し「動物を描けば、その匂いまで描くといわれた達人であった。」とwikipedia https://artsandculture.google.com/

竹内 栖鳳(たけうち せいほう)
元治元年(1864)-昭和17年 (1942年)戦前の日本画家。近代日本画の先駆者で、画歴は半世紀に及び、戦前の京都画壇を代表する大家である。第1回文化勲章受章者。 (wikipedia


竹内栖鳳『 宇佐幾(うさぎ)』のマウスパッド
昭和14年(1939)頃 晩年を過ごした湯河原の
町立湯河原美術館蔵

作品を見ていて、ロ-マの絵もがあるのを見たが、
https://www.kyotodeasobo.com/
によれば、
「1900年(明治33年)、栖鳳はパリ万国博覧会視察とヨーロッパ各国の美術事情視察のため農商務省、京都市より命じられて渡欧、7ヶ月間かけてフランス中心にイギリス、ドイツ、オーストリアなどを訪れます。 その際にかれはターナー、コローなどの影響を受けました。 帰国後には西洋画の画法も取り入れ、渡欧の経験と収穫を記念して雅号を「栖鳳」に改めました。」と。

MET 2013 799 06
Seihō Album of the Twelve Signs of the Zodiac
「十二支帖」

Monkeys and Rabbits - Takeuchi Seiho - Google Cultural Institute
Monkeys and Rabbits - Takeuchi Seiho
Seiho takeuchi, scimmie e conigli, 1908, 03
飼われたる猿と兎(明治41年 1908)
東京国立近代美術館
Seiho takeuchi, scimmie e conigli, 1908, 04

徒然草の名句(第38段)

「名利(みょうり)に使われて、静かなる閑(いとま)なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。」

meこういうのを読むと、芥川龍之介の「わたしはたびたび、こう言われている、『徒然草などさだめしお好きでしょう』。 しかし、不幸にも徒然草などはいまだかつて愛読したことはない。 正直なところを白状すれば、徒然草が名高いというのも、またほとんどわたしには不可解である。中学程度の教科書に便利であることは認めるにしろ・・・・・」、という皮肉(たぶん「侏儒の言葉」辺りにあった)が、思い出されるが。
今回のテーマで、12月恒例の 難行苦行で、一日10段づつ読む、というのをやっていると、また う~~んっと。(その日の気分による)

では、また明日~~~

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