クリスマスイブ到来。兎・聖母でお祝い.
Tizian-Madonna mit dem Kaninchen『うさぎの聖母』
(1530年頃)
ルーブル美術館蔵(パリ)
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
(Tiziano Vecellio、1490頃 - 1576)は、盛期ルネサンスのイタリア人画家。ヴェネツィア派で最も重要な画家.( wikipedia )
古来よりウサギは、肉体的に接触することなく繁殖する動物であると考えられており、このことから聖母マリアの処女性が想起される。(wikipedia)
マンフレート・ルルカーの『聖書象徴事典』にはざっと見て、兎の項目はないが、『キリスト教シンボル事典』(白水社文庫クセジュ2006)の兎の項は以下へ。簡潔・
うさぎ(lapin)は両義的なシンボルであり、一方では多産ン・豊饒を、他方では淫欲を表す。
《キリスト生誕》に描かれるうさぎのつがいは、豊かな実りをもたらすメシアの誕生を称えている。一方聖母マリアの足元に描かれる場合、対照的に、聖処女の穢れ無さを暗示している。
聖母マリアの足元に白兎を拝する意味についていろいろ言われているが、マリアはキリスト教以前の大地母神の連続そのものであるので、兎もそれと一体になって伝えられたのである。
出典: 『十二支動物の話』兎の話 p196
古代には、ウサギは雌雄同体だと広く信じられており、プリニウス、プルタルコス、フィロストラトス、アイリアノスも同様だった。 ウサギは処女性を失わずに繁殖することができる、という考え方から、ウサギは聖母マリアと関連付けられるようになり、装飾写本や北方ルネサンス絵画で聖母マリアや幼子キリストと共に描かれることも多かった。(wikipedia)
2022年クリスマスカウントダウン、兎尽くしをしてみて、私メとしては大変有意義でした。
とこしなへに違順に使はるゝ事は、ひとへに苦楽のためなり。楽と言ふは、好み愛する事なり。これを求むること、止む時なし。楽欲する所、
一つには名なり
。
名に二種あり。行跡と才芸との誉なり。
二つには色欲、
三つには味ひなり。
万の願ひ、この三つには如かず。これ、顛倒の想より起りて、若干の煩ひあり。求めざらんにには如かじ。
これらの願望を完全に否定したつもりでも、消滅しきらないがゆえに、何度も改めて書く自戒であったか・・最後から2番目の章段である。
238段は7か条にわたる自讃章段で、内容は日常的なささやかな出来事での自讃。一つ前の
241段には「直に万事を放下して道に向ふ時、障りなく、所作なくて、心身永く閑かなり。」
と。
う~~ん・・。
メメントモリ、いかに生きるかという思索だったのであろうが、いや、自戒以外としては、・・、無理だろうと思うのであった。
ウクライナ戦争は終わらず、円安値上げラッシュ、コロナ禍も続き、クリスマス寒波の中でありますが、にもかかわらず、どうぞ良い一日を。
このあとは、大掃除と正月準備。今年の締めくくりと来年の計画・・。