Yesterday, all my troubles seemed so far a-way
ついきのうまで、なにごともなかったのに
Now it looks as though they're here to stay
いまぼくのこころには、くるしみばかり
Oh I believe in yesterday
だから きのうまでの日々だけを信じていたい
Suddenly I'm not half the man I used to be
There's shadow hanging over me
いまぼくをつつみこむ くらいかげり
Oh yesterday came suddenly
ふいに きのうというわかれのときにうたれて
Why she had to go I don't know,she would't say
なぜ、どうしてきみは きゅうにいなくなったの?
I said something wrong now I long for yesterday
ぼくがなにか いけないことをいったのか
ああ、もう一度きのうからやりなおせたら・・・
Yesterday,love was such an easy game to play
ついきのうまで、きがるな遊びだった、恋
Now I need a place to hide a-way
いまぼくはこの世から 消えちまいたい
Oh I believe in yesterday
だから きのうまでの日々だけを信じていたい
by John Lennnon(1940-1980)
&Paul McCartney(1942-)
by林望(1949-)訳
さて、ようよう、本題へ。
於母影 (1963年) (近代文芸復刻叢刊) 森鴎外・於母影研究 (1985年) (国文学論叢 新集〈7〉) |
日本の詩壇に働き掛けて、新しい詩歌を興そうという意図
(by河盛好蔵※「日本の詩歌」28『訳詩集」の解説(中央公論新社刊))
を持っていたというこの二つの翻訳詩集について、
この中央公論社のアンソロジーにとり挙げられている詩を見てみましょう・・
(手元のものは2001年のオンデマンド版)
『於母影』(1889)明治22年8月 新声社刊
『海潮音』(1905)明治38年刊
57編29人の詩(フランス詩人本邦初訳)
日本の詩歌〈第28〉訳詩集 (1969年)に取り上げられているのは、先ず、
ガブリエレ・ダヌンチオの「燕の歌」「声曲」の2つの詩・・(因みに『海潮音』自体は初めにこの二つの詩で始まり、最後もこの詩人の別の2つの詩で終わっている)のであるが
全体は
ルコント・ドゥ・リイル(3)「真昼」
ホセ・マリア・デ・エレディヤ(3)「床」
シャルル・ボドレエル「信天翁」「人と海」「梟」
ポ-ル・ヴェルレエヌ「よくみるゆめ」「落葉」
ウィルヘルム・アレント「わすれなぐさ」
カアル・ブッセ「山のあなた」
オイゲン・クロアサン「秋」
テオドル・ストルム「水無月」
ハインリッヒ・ハイネ「花のをとめ」
ロバート・ブラウニング(5)「出現」「春の朝」
ウィリアム・シェイクスピア「花くらべ」
ダンテ・ゲブリエル・ロセッティ「小曲」「春の貢」
ダンテ・アリギエリ「心も空に」
エミイル・ヴェルハアレン(6)「鷺の歌」「水かひば」
アンリ・ドゥ・レニエ(3)
ジョルジュ・ローデンバッハ「黄昏」
アルベエル・サマン「伴奏」
ステファヌ・マラルメ「嗟嘆」
テオドル・オオバネル(3)「故国」「海のあなたの」
拾遺
インド古詩
サッフォ「夕づつの清光を歌ひて」「忘れるにあらねども」
アルフレッド・ドゥ・ミュッセ「春夜」
以上26と拾遺いくつか
海潮音
(kindleで無料で読めます)
夜のパリ:プレヴェール(大岡信訳)
落葉:ヴェルレーヌ(上田敏訳)
ミニヨンの歌:ゲーテ(小金井喜美子訳)
ミラボー橋:アポリネール(窪田般彌訳)
耳:コクトー(堀口大学訳)
風:ロセッティ(西条八十訳)
春の朝:ブラウニング(上田敏訳)
墓碑銘:リルケ(神品芳夫訳)
山のあなた:カール・ブッセ(上田敏訳)
英米
∥ダンテ・ガブリエル・ロセッティ∥テニスン∥
歌詞 ビートルズ、サイモン&ガーファンクル