
笑いつつ考えるドラマ2006
《デスパレートな妻たち》(2004〜2011)
2025年現在もDisney+で配信されています。
2006年に見ていました。この時は「オフィシャルブック」まで買ってじっくり見ていた作品です、
笑いつつ考えさせる、良質な娯楽番組
誰にも、秘密がある。 全米視聴率No.1、世界150カ国で大ヒット! 崖っぷちな女たちのスタイリッシュサスペンス!
郊外の閑静な住宅街、ウィステリア通りに鳴り響いた銃声。突然一人の主婦、メアリー・アリスがピストルで自殺した。彼女と仲の良かった4人の主婦たちにも理由はわからない。
そして、「何をしたか知っている 最低の行為 暴露する」という脅迫めいたメモが見つかった・・・。
“シングルマザーの童話作家スーザン”、
“完璧すぎるカリスマ主婦のブリー”、
“元キャリアウーマンで子育て奮闘中のリネット”、
“玉の輿に乗った元モデルのガブリエル”。
彼女たちを中心に一見平穏に見える住宅街に潜む人々の“デスパレート=崖っぷち”の日々。自殺、不倫、怪しげな隣人・・・コメディ?ロマンス?サスペンス?一言では言い表せない多くの魅力を満載しつつ、ユーモラスに描かれたスタイリッシュで全く新しいタイプのドラマです。「24」の2.5倍(2,500万人!)の視聴者が見ている全米最強のテレビシリーズ(オフィシャルブックより)
メイド・イン・アメリカ!の笑いつつ考えさせる、良質な娯楽番組d。
1.主婦の仕事
この第一話の登場シーンを見たとき、周囲の家族の精彩のないのに驚いた。 人の生き生きとした感情を奪うロボットのような人間にみえてしまった。このときは。
感謝されないブリー。
完璧なる家事ワーク、料理、テーブルセッティング、医者の妻、クリスチャン、
そしてアクセサリーは真珠の首飾り。
そして、完璧でない子どもたち、離婚を言い出す夫。
「西洋シンボル辞典」の鏡の項にはシモン・ヴーエの
「マルタとマリア」の図が載っていますが、
(1620年ごろの作、ウィーン美術史美術館蔵)
タイトルが Simon_Vouet_-_Martha_Blames_her_Vain_Sister_Maryって、
「虚栄心の強い妹、マグダラのマリアを責めるマルタ」
(Martha Blames her Vain Sister Mary Magdalene – Simon Vouet (1590-1649).
Oil on canvas, c. 1621.
Dimension : 110×140 cm.
Art History Museum, Vienne)
このマルタとマリアというのは、(^_^;;正直意味不明です。
(このマリアは聖母ではない)
聖書:ルカによる福音書 10章38-42節(新共同訳)マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
ご馳走をたべさせること、 もてなしは女の大事な仕事。
しかし、やっぱりマルタのすることをちょっと蔑んでいると、とっていいのでしょうか?
そういうことでなく、とにかく、「あっちは遊んでいる」と文句を言ったのがいかん遺憾?ということかもしれないが、
これマルタとマリアの在り方の比較だが、なにより話を聞くことの大事さをいいたかったのか?と。
人はパンのみにて生きるにあらず…???
しかし???
とにかく、ここで、
「デスパレートな妻たち」のブリー・バン・デ・カンプを思い出しました。
「デスパレートな妻たち」のタイトルシークエンスより
クラナッハのアダムとイブのデーティル
『アダムとイヴ』イタリア語: Adamo e Eva
英語: Adam and Eve<a title=”Lucas Cranach the Elder, Public domain, via Wikimedia Commons” href=”https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cranach,_adamo_ed_eva,_uffizi.jpg”><img width=”1024″ alt=”Adam and Eve (1528). Oil on panel, 172 × 124 cm (68 × 49 in). Uffizi Gallery, Florence” src=”https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Cranach%2C_adamo_ed_eva%2C_uffizi.jpg/1024px-Cranach%2C_adamo_ed_eva%2C_uffizi.jpg?20170608100525″></a>
板上に油彩寸 法 172 cm × 124 cm (68 in × 49 in)ルーカス・クラナッハ
所蔵ウフィツィ美術館、
2.平安の祈り
デスパレートな妻たち」シーズン2を見たのは2007年。
10巻目で、依存症の会合(断酒会)の様子など出てましたが、 終わりのあたりの記憶に残る最後のナレーションはこんなでした…
「受け入れがたいことに直面した人間を力づける祈りの言葉がある。
人の本質をついた言葉は力を与えるのだ。
変えられぬことを受け入れる平穏をお与えください。人生の仕打ちに怒りを爆発させるものは少なくない。 変えられることを変える勇気と
自分の弱さゆえに間違いを正せない者もいる。
両者を見分ける英知を。
辛すぎる選択を迫られ、絶望に身を委ねる者もいる。
でもこの祈りを唱えれば神はそれを聞き届けてくださる。
残念なのは時にその答えが、’ノー’と返ってくることだ。God, give us grace to accept with serenity
the things that cannot be changed,
Courage to change the things
which should be changed,
and the Wisdom to distinguish
the one from the other.
’God grant us the serenity to accept the things we cannot change,
courage to change the things we can,
and wisdom to know the difference.’
Serenity Prayer (『ウィキペディア(Wikipedia)』(English)
Reinhold Niebuhr
この祈りは、
レインホルド・ニーバー(1982-1971)によるものとされる。「変えることができないものについては、それを受入れる心の静かさ(serenity)を私に与えてください。
変えることができるものについては、それをなしうる勇気(courage)を与えてください。
そして、ものごとがどちらであるかを識別する知恵(wisdom)を与えてください」。
『終末論的考察』大木英夫、中央公論社、1970年
The Origin of our Serenity Prayer
「平安の祈り」がどのようにアルコホリックス・アノニマスに導入されたか、
http://ameblo.jp/lm199781/entry-10023429433.html
起源・作者として、
キケロの「人間の6つの誤り」のうちの1つ、
「変えることも正すこともできないことについて思い悩むこと」
ボエティウスの『哲学の慰め』
心理療法において、書くことによる内省はとりわけ良い心理的効果をもたらすものであることが知られている
ティモシー・ウィルソン『自分を知り、自分を変える』
自分を知り、自分を変える―適応的無意識の心理学
感情は一旦昂じてしまうと後戻りが効かない。脳内に放出された情動系の神経伝達物質やホルモンの効果は徐々にゆっくりと消えてゆく。それは決して即座に解消されることはない
茂木健一郎『脳の中の小さな神々』