美術史家ダンカン・キャメロンの興味深い話
ダンカン・キャメロン(Duncan F. Cameron):
ミュージアム(博物館・美術館)のあり方には、
テンプルとフォーラムという、二つの選択肢がある
テンプルとしてのミュージアム:すでに評価の定まった「至宝」を人々が拝みに来る神殿のような場所、結果
↓(2000年前後の転換)
フォーラムとしてのミュージアム:未知なるものに出会い、そこから議論が始まる場所、プロセス
The Museum, a Temple or the Forum - Cameron - 1971 -
ミュージアム・ノート/07年8月:「来館者」を描く──ミュージアムにおける「観衆」|光岡寿郎
ミュージアムというメディアの議論
来館者研究(Visitor Studies)
キャメロンが注目していたのは、ミュージアムにおけるメッセージが視覚言語として構造化されているという事実である。その構造化の形式は、私たちの日常生活にあふれるリニアーな言語的メディアとは異なるものであり、そこにミュージアムというメディアの独自性を見ていたのである。
”汝、いざ知識の中に進めよ”大英博物館の入り口床に刻まれた、英国の詩人テニスンの言葉。
「世界屈指の博物館」と名高い大英博物館は、 260年間の歴史を経て、そのコレクションは700万点 を越えるといいます。 文字通り、人類の生み出した有形の文化遺産の 世界最大の集積庫。その様は「モノによる百科 全書」(文化人類学者・吉田憲司氏談) 吉田氏によれば、世界の博物館の間では今、(博物館は) 所蔵品の最終的な「所有者」ではなく、むしろ 「管理者」(Custodian)であり、本来の所有者や利用者との間 で、様々な協同作業を行う場であるという認識 が広がり始めているそうです。
博物館という装置は、その多くが植民地時代に形成されたものであり、他者の文化遺産を所蔵するという、植民地時代の性格をぬぐい切れない、権力的な装置である
過去の文化を創造的に継承し、新たな文化と社会を構築する装置の方向へ(2000年代から)(by吉田憲司)
ホワイトキューブ(展示法)
(展示室が、直線的に仕切られた白い壁で構成される)
1930年代ニューヨークの近代美術館(MoMA)によって 確立された展示手法
「鑑賞」とは すでに確立された価値の追体験の行為である
展示されたものが社会での実用とは切断された「美術作品」であることを宣言し、その価値を観客に追体験させるために導入された仕掛け
スミソニアン国立自然史博物館とルーブル美術館のアフリカ展示
前者:「アフリカの声」(1999)
アフリカ人とアフリカ系アメリカ人が外部委員会を作って10年以上の歳月をかけて博物館側と共同で作り上げた
後者:「アフリカ、アジア、オセアニア、南北アメリカ」
ケ・ブランリー美術館のショーウィンドウ 世界の中でこの地域の芸術を位置づける
作られた場所における意味や役割より、自らの考える「美術」の世界に非西洋の産物を位置づけるもの
Smithsonian Home | Smithsonian Institution
仮面の世界をさぐる アフリカとミュージアムの往還 (フィールドワーク選書)
以下 吉田憲司氏テキストより
従来の展示に潜む既成の価値観に縛られた表象の図式を掘り起こす
1 契機
「20世紀美術におけるプリミティヴィズム」展(1984 MoMA)
下巻表紙(右)
ブルキナファソの民族トゥシャンの仮面(左上)と
マックス・エルンスト作の「鳥=郷部」(1934-35)
企画者ウィリアム・ルービン
「部族的」なるものと「モダン」なるものとの「親縁性(affinity)」を浮かび上がらせようとした
人類の芸術的能力の普遍性を実証するかに見えた展示
→「世界を自身のもとに収集しようとした西洋近代のあくなき要求と力を示す」
(ジェイムズ・クリフォード(James Clifford)
2
「マジシャン・ドゥ・ラ・テール(大地の魔術師)」展(1989 パリ ポンピドゥー・センター
アートという概念を相対化しようという意図
→非西洋世界に「未開」というレッテルと張りなおす「ネオ・コロニアリズム」
3 自省的展示の試み
「アート/ アーティファクトー人類学コレクションの中のアフリカ美術」展(1989 ニューヨーク アフリカ美術センター)
アーティファクト(器物)→どのようにして美術(アート)に仕立てられていくか、
様々な展示形態を再現
展示:文化の客観的な表象の装置ではなく、新たな意味の創出である、とした
展示という行為の持つ政治性、権力性への認識
4 「テ・マオリーニュージーランドのコレクションに見るマオリ美術」展(1985-6 アメリカ各地巡回)
対話の実践ー共同作業の試み
スミソニアン協会国立自然史博物館のアフリカ展示
「アフリカの声」(1999)
5.「自文化」展示のための博物館
「自文化」展示も「異文化」展示同様、表象の権利や権力性から自由になることは不可能
クリフォード教授は、人類学の批判的歴史家として1980年代から人類学の概念や方法論などについて根本的 な内省を促し、人類学の「再活性化」を牽引して来られた。
「コンタクト・ゾーン」
文化の窮状―二十世紀の民族誌、文学、芸術 (叢書・文化研究)
(はてなブログ(2017-07-24
[ホワイトキューブ(展示法)]
からの再掲です)