考古学的文化

土器文化区分とギンブタス

Wikipedia
球状アンフォラ文化(英語:Globular Amphora culture)は紀元前3400年ごろから紀元前2800年ごろにかけて、西はエルベ川西岸地方、東はドニエプル川中流域まで広がっていた銅器時代文化。インド・ヨーロッパ語族の中央ヨーロッパ以西への進出に関して非常に重要な意味があると考えられている。

漏斗状ビーカー文化(Funnelbeaker culture)(約4100 BC-CA 2800 BC) この範囲は、これより前の新石器時代のヨーロッパに漏斗状ビーカー文化(英語版Wikipedia)が広がっていた地域とだいたい同じで、球状アンフォラ文化の草創期には両文化が同時に存在していた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Funnelbeaker_culture

マリア・ギンブタスはそのクルガン仮説において、球状アンフォラ文化をインド・ヨーロッパ語族の第二の源郷と位置づけている。(第一の源郷ははるか東方、ドニエプル川流域からヴォルガ川流域にかけての、アゾフ海とコーカサス山脈の北側に広がるステップ地帯。)

http://en.wikipedia.org/wiki/Beaker_culture

土器文化区分

Funnelbeaker culture
(TRB)または(TBK)  (短縮語:ドイツ語から)
漏斗状ビーカー文化
ca 4100 BC – 2800 BC
パブリックドメインWikipedia
Globular Amphora Culture (GAC),(KAK)
球状アンフォラ文化
ca. 3400 BC – 2800 BC
GlobularAmphoraPiatraNeamt
Corded Ware culture
縄目文土器文化
ひも状の陶器の文化

ca. 2900 BC–2450/2350.BC

パブリックドメインWikipedia
Bell-Beaker culture
ベル·ビーカー文化
ca.2800 BC - 1800 BC
Beakerculture

Late Copper Age 1 was defined in Southern Germany by the connection of the late Cham Culture, Globular Amphora Culture and the older Corded Ware Culture of "beaker group 1" that is also referred to as Horizon A or Step A. Early Bell Beaker Culture intruded into the region at the end of the Late Copper Age 1, at about 2600–2550 BC.

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文化分類

Wikipediaからのまとめ
Sredny STOG文化 ca.4500 BC - 3500 BC
ヤムナ文化の起源は、ヴォルガ川中流域のクヴァリンスク文化と、ドニエプル川中流域のスレドニ・ストグ文化
ヤムナ文化:Yamna culture  竪穴墓文化

ヤムナ文化こそインド・ヨーロッパ語族の初期の中核的文化のひとつであったという推測は広く認められている。

ヤムナ文化はインド・イラン語派の文化ではあるがその語派の起源ということではなく、中央アジアのステップ地帯で政治的な力をつけたインド・イラン語派の担い手の集団が次々と西方へ進出して落ち着いた先である東ヨーロッパのステップ地帯に広く発展したステップ文化である

もともと球状アンフォラ文化はスラヴ・バルト・ゲルマンの3つの語派の、後期インド・ヨーロッパ祖語時代における基層文化であったと考えられる。(J. P. Mallory, "Globular Amphora Culture", Encyclopedia of Indo-European Culture, Fitzroy Dearborn, 1997.)

この祖語はインド・ヨーロッパ祖語の北西方言で、現在でも3つの語派に共通する文法的特徴にその名残がみられる。
球状アンフォラ文化がその西隣と東隣にあった非インド・ヨーロッパ語族の文化圏に影響し、その結果中央ヨーロッパから東ヨーロッパにかけての広大な地域に縄目文土器文化が形成されていく。

the 36th–23rd centuries BC.
銅器時代の文化圏
中心地はウクライナ


インド・ヨーロッパ祖語における意義
クルガン仮説の扱う時代や地理的範囲を基準とすると、ヤムナ文化はインド・ヨーロッパ祖語第Ⅳ期の文化であると捉えられる


クルガン仮説に否定的な研究者は、ヤムナ文化はインド・イラン語派の起源であると考えている。


おそらくヤムナ文化はイラン語派の系統の遊牧民が優勢な文化であったろうと推測される。


西方では 横穴墓文化 Catacomb culture
東方ではポルタフカ文化(Poltavka culture)
ca.2800-2200 BC
Afanasevo culture

ca.2500-2000 BC

※炭素年代法測定で、BC3300頃まで遡っている
アバシェヴォ文化: Abashevo culture
ca.2500-2000 BC(ca. 2500-1900 BCE)
スルプナ文化:Srubna culture (18th-12th centuries BC)
ベログルードフ文化:Belogrudov culture
トシュチニェツ文化:Trzciniec culture 紀元前1700年から紀元前1200年
プロト・スラヴ人
チェルノレス文化:Chernoles culture
黒森文化
農耕スキタイとして有
骨壺墓地文化 BC1300-BC700
ハルシュタット文化 B.C.E.1200-475
単葬墓文化(Single Grave culture)
この、土器というものなのだが・・これは煮炊きのための日常品ではなくて、葬祭のためのもの、それもお墓の荘厳のためというより、つまりは、骨壷であったのか・・・用途など考えたことがなかったので、今考えると、これはどうなのかと・・(~_~;)
土器

時代によって生業や生活様式が異なることから、単純に形態から用途を類推することはできない。
縄文土器は、当初煮炊きの道具として生まれたことが土器の表面にこびりついた煤状炭化物や吹きこぼれの痕跡によって確かめることができるが、その多くは深鉢の形状をなしており、これら深鉢形土器は縄文時代を通じて貯蔵、場合によっては子ども用の墓(土器棺)など多用途に用いられた。
それに対し、稲作農耕が本格化して、米粒食が普及すると甑(こしき)、鍋、甕などが炊飯や煮炊き具として普及し、供献用ないし食器として椀が登場する。ただし、甕形の土器は縄文時代よりすでに液体などの貯蔵用として用いられており、弥生時代には棺としても用いられており、ここでもやはり形態と用途との対応は一義的ではない


Earthenware:土器http://en.wikipedia.org/wiki/Earthenware

釉薬をかけないやきものの意味で〈土器〉という名称を用い,
釉薬をかけた陶器と区別するようになったのは,江戸時代後半からのようである。
中国語の〈陶〉,英語のpottery,ceramic,earthenwareは,
いずれも日本でいう土器・陶器の両方をさす名称である。(

Pottery:陶器
http://en.wikipedia.org/wiki/Category:Pottery
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Pottery
http://en.wikipedia.org/wiki/Category:Ancient_Greek_pottery
http://en.wikipedia.org/wiki/Minoan_pottery

Banshan painted pottery pot 3

彩文土器Painted Pottaryの文様研究は別にこちらへ・・・古代オリエントの文様
陶器の文様による年代区分についても、 用語その1用語その2、 セラミック類型、ゴードン・チャイルドなど・・

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地理的位置確認

Corded Ware culture
オレンジ色の範囲:球状アンフォラ文化

Old Europe2

European-middle-neolithic-en
ヴィンチャ文化: 図のうす紫の部分(再掲※
CuTryOutline

Cucuteni

ククテニ文化・・ルーマニア、モルドバ、ウクライナ

http://kotobank.jp/
ドイツの考古学者ヒューバート・シュミットがルーマニアのククテニCucuteni遺跡で彩文土器を発掘したのにちなんでモルダビアの新石器時代と銅器時代の文化をククテニ文化と呼び,エレスド文化ともいう。
ウクライナのトリポリエ文化の中期は,このククテニ文化と同じ内容であるので,文化の広がりはトランシルバニアの東麓に沿うセレト川からドニエプル川の中流域にまで及ぶことになる。
トリポリエ文化の前期はルーマニアでは先ククテニ文化と呼ばれ,ウクライナと同じ篦で描いた曲線文土器もあるが,多いのは暗灰色の磨研土器である。



考古学的な時代区分

Wikipedia
伝統的な三時期法(石器時代、青銅器時代、鉄器時代)の例外に当たる過渡的なもの
http://en.wikipedia.org/wiki/Chalcolithic
一般的にヨーロッパ考古学の著述では「金石併用時代」の使用を避け、「銅器時代」という用語を好んでいるが、中東の考古学者は日常的に「金石併用時代」を使用する。
銅器時代は、ヨーロッパにおいて銅器時代が極めて急速に完全な青銅器時代に移行する間の極めて早期に中東で始まった。

石器時代という時代区分はデンマークの考古学者クリスチャン・ユルゲンセン・トムセンによって名付けられた。
(1836年「北方古物学の手引き」)
この時代区分はスカンジナビアとその周辺地域に適用できる

イギリスの考古学者ジョン・ラボック (Sir John Lubbock 1834 - 1913)によって, 1865年に二つに分けられた。
絶滅動物と打製石器を使っていた時代を旧石器時代 (Palaeolithic Period)=地質時代でいう更新世に属す、200万年前から紀元前1万年の間
現生動物の存在と磨製石器を使うようになった時代を新石器時代 (Neolithic Period)=完新世に属し 、オリエントでは紀元前8000年頃に、中米やメソポタミアでは、紀元前6000年頃に始まった

イギリスの考古学者ゴードン・チャイルド (Vere Gordon Childe 1892 - 1957) は、基本要素を食料採集から食料生産への転換とし、農耕や牧畜の両方か、どちらかが始まっていれば新石器時代とした

ブリテンの先史時代(Wikipedia) (Prehistoric Britain)では、ブリテン島・アイルランドにおける人類の渡来(75万年前ごろ)から紀元43年のローマ軍侵攻までの人類社会の推移を解説する。ブリテン島は8500年前までにはヨーロッパ大陸から分離し島になっていた

地質時代 石器時代 期間
第四紀 更新世
洪積世
旧石器時代 前期旧石器時代 約200万年前~
約10万年前
中期旧石器時代 約9ないし7.5万年前~
約3.5万年前
後期旧石器時代 約3.5万年前~
紀元前約1万年
完新世
沖積世
中石器時代 紀元前1万年~
紀元前8・6000年
新石器時代 紀元前8000年~

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