古代の神々と女神

2012年 マリア・ギンブタスを読む


『古ヨーロッパの神々(と女神)』
The Goddesses and Gods of Old Europe
(1974:邦訳「古ヨーロッパの神々」鶴岡 真弓訳)

予習

(p8)写真1 鳥女神頭部
ギリシア、テッサリア、アキレイオン出土 前6千年紀 高さ6.1センチ
鳥のような嘴、人間のように真ん中で分けた髪が特徴的
ギンブタスによる発掘(1973年)

2012-02-05 ざっと用語を見ながら、ちょっと検索して予習です。
●鳥女神・・(水鳥、カモメ、アヒル、鶴、潜水する鳥)、前7千年紀の主要な神(セスクロ文化)・・アテナ女神のアトリビュートは鳥、
蛇女神、仮面、蛇の渦巻き状頭部装飾、 蛇を思わせる縞模様
平行線、ジグザグ、点、渦巻き、 迷路文様、雷文、

■マリア・ギンブタス(Marija Gimbutas、1921- 1994) Wikipedia

1956年、南ロシアなどに見られるクルガン(墳丘墓)を原インド・ヨーロッパ語民族と結び付けるクルガン仮説を提唱し、1965年に「Bronze Age Cultures of Central and Eastern Europe」としてまとめた。


■クルガン kurgan(Wikipedia
■クルガン仮説 (Kurgan hypothesis) (Wikipedia
「クルガン仮説は、クルガンを建設した人々がインド・ヨーロッパ祖語の話し手であったとする仮説である。」
ロシア南部に存在した「クルガン文化」がインド・ヨーロッパ祖語の話し手であったとする仮説

「クルガン考古学」と言語学を結びつけて、原インド・ヨーロッパ語を話す人々の起源に位置付けて提唱した。
ギンブタスは、明確な墳丘「クルガン」を伴う墳墓を持った「文化」を仮に「クルガン文化」と呼び、クルガン型の墳丘墓がヨーロッパへ伝播していったことをつきとめた。


紀元前2500年前後では、西方ではバルカン半島に住み着くことになる原ギリシャ人の球状アンフォラを伴う文化となり、東方では、インド・イラン系の遊牧民文化を形成した


クルガン仮説のシナリオは、インド・ヨーロッパ語族の起源についての尤もな答えとして広く受け入れられてきたが、あくまでも推論の域を出ていない。

■球状アンフォーラ文化・・ ギリシャに侵入した原ミケーネ人も担い手であった可能性がある。 (※→)


from: http://en.wikipedia.org/wiki/Image:LYablonskyFilipovkaKurganR1.jpg

Sarmatian Kurgan 4th c. BC, Fillipovka, S.Urals Archeological dig lead by Russian Academy of Sciences Institute of Anthropology Prof. L.Yablonsky, Summer of 2006. First known kurgan

△上に戻る


photo by CristianChirita
Histria Museum Neolithic Menhirs
Archeological sites in Romania
ヒストリア博物館の展示で新石器時代の 「クルガン石碑」
Wikipedia 擬人化された石碑

Wikipediaですが、英語のサイトとフランス語のサイトはこうも違う・・面白い。
http://en.wikipedia.org/wiki/Portal:Archaeology
http://fr.wikipedia.org/wiki/Portail:Arch%C3%A9ologie
フランスの方は、ポール・ヴァレリーである・・「我々の文明は、今我々が人間であることを知っている。(1924)」・・

■ククテニ文化
Cucuteni-Trypillian文化の宗教と儀式(Wikipedia en.)

Yamna02
From the Hermitage Museum collections
Yamna文化

第1章 文化的背景


<古ヨーロッパ文明>の定義と意味
<古ヨーロッパ>の地域区分と年代区分
1.エーゲ海・中央バルカン
2.アドリア海地方
3.ドナウ川中流域
4・東バルカン
5.モルダヴィアー西ウクライナ

<古ヨーロッパ文明>の定義と意味

p15 前7千年紀頃、植物の栽培と家畜の飼育を営む村落が早くも南東ヨーロッパに出現
南東ヨーロッパの農耕民は、アナトリア、メソポタミア、シリア=パレスチナ、エジプトにおける類似した文化的発展に平行しながら、前7千年紀から5千年紀にかけて独自の文化パターンを展開
前5千年紀に頂点に達した

南東ヨーロッパにおけの新石器=金石過渡時代におけるさまざまな文化集団に共通する特質とそこに形成された事物を把握するため、ここに<古ヨーロッパ>という新しい名称を提示したい。


p16

前5千年紀のヨーロッパ社会は文化的な勢いを増大させたが、その文化も前4千年紀にヨーロッパ中・東部の各地へ侵入し定住した半農半牧を営むインド=ヨーロッパ語族の祖先によって分断される。
その結果<古ヨーロッパ文明>の最初期に生み出された色鮮やかな土器や彫刻米術は急速に消滅した。しかし、その遺産は前3千年期末のエーゲ海沿岸地帯と島嶼地方に、次いで前2千年紀中葉のクレタ島に受け継がれ生き延びていく。
ギリシアの初期青銅器文化、キュクラデス文明、そして宮殿美術の宝庫であるクレタのミノア文明に、新石器・金石過渡時代の<古ヨーロッパ>文化が縮図化されているということができる


<古ヨーロッパ>の地域区分と年代区分

古ヨーロッパの位置
地図1(p14より)


1.エーゲ海・中央バルカン
(1)新石器時代(前7000~5500年ごろ)
ギリシア・・原(プロト)セスクロ文化、 ユーゴスラヴィア・・スタルチェヴォ文化 ケレス(ケレシ)文化
文化集合群(1000以上の遺跡)
⇒「エーゲ海と中央バルカンの新石器文化」
全体を通じて共通の特性を際立たせる芸術を遺した
彩飾された壺や環状基台付き広口壺などを含む、骨・石・土器の芸術
小麦・大麦・レンズマメ・カラスマメ・エンドウマメ栽培
羊と山羊が家畜として最も多く飼われていた
北方の定住者たちは、湿気の多い森に適応するため、牛と豚の飼育を発達させた。
同時に漁𢭐や狩猟も
ドナウ川流域のテル(遺丘)

1.エーゲ海・中央バルカン
(2)金石過渡時代(前5500~3500年ごろ)
p20 前6千年紀中葉まで残存したスタルチェヴォ 文化集合の典型的形態が、土器に明らかなように、最後にはヴィンチャ文化複合へと急速に移行
ヴィンチャ遺跡(ベオグラード東方)・・1908~1932年にかけて、M・ヴァシチュによって発掘

p22 前6千年紀末から5千年紀にかけて、バルカン地方に生まれた芸術の伝統は、 ヨーロッパや中東の先史文化の中で最もみごとで特徴的なものの一つである。


線刻のある初期ヴィンチャ文化の
黒色研磨土器や有溝土器

p23 サラエヴォのブトミール集落址
1967-68発掘のオ―ブレ文化Ⅱ期の遺跡
放射性炭素による一連の測定年代により、ブトミール文化は前5100~4000年頃にかけて3つの時期に分かれることがはっきりした

*こちらにブトミールの壺(唐草文様)

地理的位置確認

European-middle-neolithic-en
ヴィンチャ文化: 図のうす紫の部分

上に戻る

目次メニュー次へ