仮面は芸術や宗教と同じくらい古くから偏在していた。(p57)
仮面のタイポロジー ほぼ三角形→三角形→五角形で無装飾→装飾のある五角形→アーモンド型(p61)
衣装をまとい仮面をつけた男女の土製小像が大量に出土していることは、
古ヨーロッパの人々が何らかの儀礼を繰り返し行っていた証拠である。
いかなる儀礼であったかをより正確に再構築するためにはこれとは別に典礼に用いられた祭器や祭
具に関する考古学的資料を検討する必要がある(p66)
トランシルヴァニアの初期ヴィンチャ遺跡
嘴と大きな目のついた仮面をかぶった女神が屋根に乗っている(p66)
サバティノフカの祭殿(p71)初期ククテニ文化
1970年イタリア南東部
ポルト・バディスコの浸食洞窟で新石器時代の絵画が発見された。(Graziosi1971)そこには渦巻き、蛇、様式化された半人半蛇の怪物、四角形、菱形、有角動物、弓をもった男たち、黒と赤茶色の切り込み線で構成された幾何学的な象徴的文様が表わされている。前5千年紀後半から前4千年紀
1978-80年にはガルガーノ半島南部のスカロリア洞窟の発掘によって劇的な遺物が姿を現した。
バラバラになった約140の人骨と装飾を施した壺の断片約1500点・・蛇やジグザグ文様、植物モチーフ(p73)
古ヨーロッパとミノアの祭殿は驚くほどよく似ている。(p73)
クレタ島東部、グ―ルニアの祭殿から出土された祭器・小像・蛇と角で飾られた壺
柱の部屋、両刃斧を建てるための台
両刃斧=大女神の表象
<大女神>崇拝と<柱>崇拝が結びついていたことは確実である。
ライオンやグリフィンといった牡動物が柱を取り囲んでいる場合が多い。
蝶となって顕現した女神が、牛の角と両刃斧に結び付けられている。
ミノアや古ヨーロッパにおける<柱>とは、宇宙の主軸、というよりもむしろ生命力の根源たる
<大女神>の具現とみなされていたのではないだろうか(p78-79)
チャスキワレレの祭殿入口の大柱(前5千年紀初頭)
チャスキワレレ?Câscioareleカスチオアレレ(googleMap)・・ルーマニアRomania南部オルテニツァOltenita近郊 ブカレスト国立考古学博物館Bucharest、「至高の男神(鎌の神)の時代」byカリツ(1970年)
「クロノス神の祖先」byマッカイ(1964年)
ティサ文化の女性像群の中にあって特異な存在
2頭の動物(山羊?)と一本の樹木・・再生する動物を暗示している。
ボイアン文化
椅子に座ったククテニCucuteniの女神たちの写真
http://jomontaro.web.fc2.com/newpage175.htmlby Karen Diane Jennett
http://hdl.handle.net/10086/22846
坂内徳明(Wikipedia)
==以下引用===========
彼女が
見出したギリシャ,ミノア・ミュケナイ文明以前の「古ヨーロッパ」社会の存在を
主張し,それを再構築しようとした試みであった
リトアニア文化をヨーロッパの基層文化ととらえること
により,インド=ヨーロッパと古ヨーロッパという究極の対立物を止揚させようと
する彼女の文化史学的戦略