15世紀木版画(西洋シンボル事典)
子ども(キリスト)を抱く聖母像ではなく、
「穂麦のマリア」という、うら若い乙女のマリアの図像があるようなのだが、どんな図像なのか?・・WEBにはなかなか見当たらない。
文献では、「西洋シンボル事典(キリスト教美術の記号とイメージ)」の「マリア」の項に、「落ち穂の聖母」として、15世紀の木版が挙げられている。(図495)
その説明(p289)
==以下引用===========
マリアの妊娠を示す図像の一つである。
この図は「種なくして実りをもたらす神の畝」と記した教父のテキストを図解したもので、
マリアは落ち穂をあしらった衣装を身につけている。
ミラノ大聖堂にあるドイツ起源のマリア奉納がにさかのぼるこの種のマリア像は、中世末期のイタリア、ドイツ美術で広く取り上げられたが、16世紀が始まると姿を消した。
====引用終了=======
落ちてしまった「落ち穂」では、ちょっと敬意がないように思うが?
作例として、4つ挙げられている(図はなし)
検索したが出ていないようだ・・・
これは偶然見たWEBページの背景用の画像ですが、似ています・・
でも下部に胚芽(?)がないようです・・
ドイツのハンス・ビーダーマンの
「世界シンボル事典」の方では
ドイツ語では Äkrenkleid Mariae
英語では ears of grain on Mary's robe
・・という表現で「穂麦のマリア」という項目があった
「中世およびルネサンス期に、礼拝や巡礼の記念に信徒に手渡されたカードには、穂麦の模様をあしらった衣装を身にまとう聖母マリアの像が描かれることがあった。」
1450年ごろ南ドイツ(世界シンボル事典)
「こうした図像は、古代における≪穀物の母≫(たとえば古代ギリシアの大地母神デメテルや古代ローマのケレス)の崇拝や、さらに遡って太古の人々の宗教感情を連想させる。
地中に埋められて(「埋葬」されて)一見死んだように見えながら、春には新しい生命に目覚め、
やがてたわわな実をつける穀物は、古代ギリシア以来━たとえばデメテルを祀るエレシウスの密儀において━墓中の闇を経た後の新生を表す象徴となり、その意味で人々に希望をもたらし、死の克服の範を示すものとみなされていた。」(p395)
もっとも、のちの時代に描かれたこの「穂麦のマリア」は、そのような象徴的意味とは関係なく、たんに豊穣を祈願するものであったことも考えられる」
(p395)
なお、マリアという単独の項目はなく、乙女や母などその語は出てきます。
[
象徴としての麦]
荒俣宏(平凡社百科事典)
米や麦を総称する英語セリアルcereal (穀物) が,ローマの古い豊穣 (ほうじよう) 神ケレスに由来するように,麦類を中心とした古代西洋の穀物は
地霊あるいは地母神の恵みであった。
したがって,麦は収穫の象徴であり,ケレスのほかにギリシアの
デメテル,アルテミス,
エジプトのイシスなどの持物とされた。また
オシリス,アッティス,アドニスなど,その神話が植物の枯死と再生を表現していると考えられる神々から生え出た植物の一つとも信じられた。畑で収穫された最初あるいは
最後の麦束には穀物の精霊が宿るといわれ,これを魔よけや招福のお守りとして軒につるしたり,わら人形にしたりする習慣が西洋各地にある。
麦わら帽子をかぶれば幸運がくるという俗信もこれに関連している。古代ギリシアのエレウシスの密儀では,
麦束が太陽の象徴として使用された。また,ローマ人は
麦を生命力の象徴とみなし,死者が来世で豊かな生活を送ることを願って,
墓地にこれを植えた。この習慣も長くヨーロッパに引き継がれ,葬式に麦をまく習俗をつくりあげている。インドでもヒンドゥー教徒が結婚式や葬式にオオムギをまく。
以前のページ:荒俣宏さんの解説more⇒麦の象徴
麦(麥):漢字
ラッキーアイテムとしての(麦の)穂
麦の束の紋章
「イメージ・シンボル辞典」では、
穂(ear of corn)という項目があり、麦の束の紋章の図がある。
ところがこれはパンの象徴としてキリストの体を表すという。
さらにアドニスとオシリスの体より生え出る穂を参照せよ、とのこと。
(この項は別に)
ケレス
穀物の穂はマリアのシンボルでもある。:
中世後期にはマリアは穂の刺繍のある衣をまとっていることもある
ルネサンス美術では穂は収穫の月、夏のアトリビュート
WEB検索
Book Altarof Philip the Good
15th century – Österreichische Nationalbibliothek, Wien, Cod. 1800
13v: The Virgin Mary as madonna of the ears of wheat. A hexagonal aedicula shows the Virgin in her dress and Duke Philip of Burgundy, kneeling at his prayer-desk.
WEB検索
※
CatholicCulture.org
※
http://www.chiesadisanvito.it/page.php?44
One symbolic style of Maria Gravida that escaped Counter-Reformation policies was the Aehrenklied (
Ear-of-Wheat Dress) Madonna that originated in 15th-century Germany and endured for 300 years.
In this popular motif, a young, newly pregnant Mary is dressed in a midnight blue gown powdered with heads of golden wheat and adorned with sunburst bands at the neck and wrists.
A medieval sermon called her"The holy field where God sowed grain that grew up to become the bread of heaven.
宗教改革から免れたマリアの象徴的なスタイルは
Aehrenklied(小麦の穂のドレスの)マドンナである。
15世紀ドイツで起こってより300年間続いた人気のあるモチーフ。
若くて妊娠したばかりのマリアは、
深い青色のガウンを着ている。黄金の麦の冠をつけ、手首と首を光がとりまいている。
中世の説教では、マリアを「神が天国のパンになるように粒をまいた聖なる野」と呼んだ。 )
ユニウス・バッススの石棺(左に麦の穂)
Sarcophagus of Junius Bassusヴァチカン美術館の石棺の側面。
アダムとイブ(アダムの傍、左の円柱の方に穀物の束がある)
※
Wikipedia
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