サンドロ・ボッティチェリSandro Botticelli (1445–1510)
ウフィッツィ美術館(フィレンツェ)所蔵
ビーナス
矢島 文夫(平凡社世界大百科事典)
ビーナス Venus
ローマの女神ウェヌスVenusの英語名。
ウェヌスはもとはローマの菜園を守る小女神であったが,のちにギリシアの女神アフロディテと同一視され,愛と美をつかさどる女神の総称となった。
[旧石器時代の地母神崇拝]
ビーナスの原型およびビーナスにまつわる神話は,太古の地母神崇拝に起源をもっている。植物を生ぜしめる大地を地母神(大母神) とみなす思想は,古代世界各地に見られる。そのような思想を美術的に表現した地母神像として有名なものには,旧石器時代にさかのぼる〈ウィレンドルフ Willendorf のビーナス〉や〈レスピューグ Lespugue のビーナス〉があり,他にも同種のものが無数に出土している。それらの多くは大きな乳房,太い腰によって母性であることが強調されており,しばしば様式化された性器が示されている。このような裸体女人像はメソポタミア,小アジア,インドからきわめて多く出土し,その分布はユーラシア大陸の大部分にわたるといわれる。
[古代西アジアのビーナス神話]
新石器時代後期に,この地母神崇拝から特定の女神の崇拝が派生し,のちにこれに一連の神話が付け加えられ,この女神は特定の名をもつようになった。今日知られている最古の〈ビーナス神話〉はシュメールの女神イナンナInannaと男神ドゥムジに関するもので, 《イナンナの冥界下り》と呼ばれているシュメール語文書が最も詳しくこの神話を伝えている。これはもとは総計 400 行以上あったと推定される複雑な構成をもつ物語で,イナンナが冥界に下りて地上に戻れなくなり,ドゥムジ (ここではイナンナの夫) が身代りに冥界に連れてこられ,それを求めてドゥムジの姉ゲシュティンアンナが冥界へ下るというテーマを含んでいる。
この神話はバビロニア,アッシリアへ伝えられ,アッシリア語文書《イシュタルの冥界下り》では,女神イシュタルが男神タンムズ (シュメールの〈ドゥムジ〉がなまったもの) を探し求めて冥界へ下る物語 (約 140 行) となっている。イナンナ=イシュタルを地母神,ドゥムジ=タンムズを大地の所産である植物の神とする見解に従えば,冬季に入って地下に消えた植物神を母である女神が探し求めるという神話とみなすことができる。
この神話は初期メソポタミアで漸次明確な形をとり,のちにシリア,東地中海地方に広がった。この女神はシリア,フェニキアではアスタルテ,アシュタロトと呼ばれ,本来の地母神的性格は薄くなり,愛と美の女神としてしばしば裸身の処女の姿で表現された。天体神としても性を支配する金星を代表し,その神殿は男女の交歓の場となった。
[ギリシア・ローマの愛と美の女神]
この女神はキュテラ島あたりを経由してギリシアに伝えられ,アフロディテと名を変えた。この名の語源は明らかでないが,〈泡〉を意味するギリシア語〈アフロス aphros〉に由来するとの民間語源説から,海の波間から生まれるビーナス=アフロディテという新たな神話が生じた。アフロディテ像はしばしば現実の美女をモデルにして制作され, 〈ミロのビーナス〉をはじめとする多くのビーナス像がギリシア彫刻あるいはローマ時代の模作によって今日に伝えられた。
アフロディテに関する神話の一つは〈アドニス神話〉で,メソポタミアの〈タンムズ神話〉の変形とみなされる。ここでは美少年アドニスをめぐってアフロディテおよびペルセフォネ (あるいはデメテル) が争い,結局 2 人が半年ずつアドニスと過ごすが,アドニスはイノシシによって殺され,その血からアネモネが咲き出たとされる。 〈アドニス〉の名は西セム語のアドン Adon (〈わが主〉の意) から出たもので,またアネモネとのつながりは,春先に東地中海地方でアネモネがいっせいに開花するからとも,レバノン山脈から流れ出る川がこの時期に赤紅色に変色するからともいわれる。
この神話はローマに入り,女神はウェヌスと名を変えるとともに,オウィディウスやアプレイウスらの文人の手によって,愛の女神としての官能的性格が強調されるようになった。ギリシア時代の一時期には着衣で表されたビーナス像は,ローマではほとんど全裸で表され,またギリシア彫刻の秀作の模作も多数作られ,宮殿などを飾った。 4 世紀初めにキリスト教が公認されると,ビーナスはキリスト教に敵対する異教の神々の一つとみなされた。
しかしルネサンス期には,ギリシア・ローマへの関心がよみがえり,ボッティチェリ《ビーナスの誕生》,ジョルジョーネ《眠れるビーナス》,ティツィアーノ《湯浴みするビーナス》など,ビーナスを主題とする多くの名画が生まれた。
さらに近代・現代の絵画・彫刻においては,ビーナスの名のもとに多くの裸体表現を生み,ビーナスは多くの場合,裸体の美しい女性の代名詞となっている。
「美の女神」ですね
"Venus giving Paris Helen as his wife" by Hamilton (1782-1784),
held by the Palazzo Braschi, Rome
Gavin Hamilton (1723–1798), encontrado en Palazzo Braschi, Roma
Wikipedia.en
ヴィーナスとは
ルーブル美術館(20180618)
A photograph of a proposed restoration of the Venus of Milo
(Venus de Milo) byアドルフ・フルトヴェングラー Adolf Furtwängler incorporating the arm fragments found with the statue at the time of its discovery
ヴィーナス
「図説世界シンボル事典」
byハンス・ビーダーマン
ウエヌス (英語読みではヴィーナス)はローマ神話の美の女神でギリシア神話のアフロディテと同一視される
先史時代の美術に関する文献では、ある種の旧石器時代の彫刻を指して「ヴィーナス」という表現が用いられることもある。明らかに昔の人の「美の理想」を揶揄した言い回しだが、これらの像は実際には決してエロティックな願望や美的概念を表したものではなく、むしろ一族の祖としての母を表現したものであった。
したがって、これらの像が持つ豊満な体も、多産や、子供を産み育てる能力をシンボルとして強調した様式と解釈すべきだろう。⇒豊饒の角
豊饒の角
花の女神フロラや幸運の女神フォルトゥナの持物であり、人間が労せずして得ることのできる無限の贈物のシンボルである。
動物の角が、献酒のための器としてすでに先史時代から用いられていたことは、ローセルLausselのヴィーナス像などを見ても明らかである。
以下で、旧石器時代の彫刻、ヨーロッパの原始女神をいくつか見てみます・・日本でも「縄文のビーナス」が思われます・・
原始女神の表象
Venus of Willendorf
Venus of Laussel
Venus of Brassempouy
O
ne of the earliest known realistic representations of a human face.
国立考古学博物館 Musée des Antiquités nationales (en/fr)、
サン=ジェルマン=アン=レー城内
約2万5千年前(後期旧石器時代)の女神像として有名な
「ブラセンプーイのヴィーナス(
wikipedia英語版)」
Venus of Dolní Věstonice
ライオン人間
Venus of Hohlefels
Paleolithic figure
Venus of Hohlefels (of mammooth ivory)
初期オーリニャック文化、
およそ3万5千年から4万年ほど前,
高さ6cm、幅3cm、重さ33g
ヴィーナスというと、パリの人類史博物館での生きた人間の展示、「ホッテントットのヴィーナスの展示は遺憾なものであったろう・・
ルーブル美術館 古代シュメール
のビーナス像
美の三女神
アト・ド・フリースの『イメージ・シンボル事典』の方を見ると、
Venusビーナスとは金星の話であったが、別に美の三女神という項があった
The Graces
豊饒の太女神が三分裂して生まれたもので、豊饒の好ましい側面を表す
美の三女神は春にヘルメス‐メルクリウスによって外に誘い出される
古代ギリシアでは、「輝く女」のアグライア、「喜び」のエウプロシュネ、「花盛り」のタレイアの3人を表す
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