「女を描く」(女のイメージ14~16世紀)

女を描 ―ヨーロッパ中世末期からルネサンスの美術に見る女のイメージ
クリスタ・グレシンジャー著
元木幸一・青野純子/訳
三元社 2004/12

内容(「BOOK」データベースより)
「女嫌い」の思想は世界と同じくらい古い
女への辛辣な見方は、写本や版画など周辺の美術の中に繰り返し表されることによって浸透し、やがて女のイメージを固定していった。
一方、聖母マリアを代表とする「良い女」の類型は、宗教改革により聖女信仰が消え去った地域などではある変化を生じていく。
著者グレシンジャーは、今も変わらぬ心悲しくもユーモラスな男女の交情の例など、北方ヨーロッパにおける中世末期から初期ルネサンスの美術の作例を丹念に集め、文献資料では知りえない女性観(そして同時に見えてくる男性観)の変遷を提示する。

なかなかの紹介文・・では読み始めます‥

[目次]
はじめに
第1章 女嫌いの歴史
第2章 良い女(聖母と聖女 修道女と女性神秘家  良い主婦 教育 女の肖像画 働く女、遊ぶ女 野生の女)
第3章 悪い女(娼婦 魔女)
第4章 女の年齢(女の死)
結論

訳者補論 「良い女」周縁から中心へ 
十七世紀オランダ絵画における働く女のイメージ 青野純子

訳者あとがき 元木幸一
原書図版リスト
参考文献
索引

「はじめに」に 本書は、
芸術における女の像 北ヨーロッパにおける中世末期から初期ルネサンス、つまり1400年ごろから1540年ごろまでの写本、絵画、銅版画、彫刻 の検証とある。
また、この過渡期にカトリックの信仰が衰退し、宗教改革が始まって、家父長が支配権を握り、女嫌い(ミソジニー)の暴力的な噴出が勢いを増した、とある。


第1章 女嫌いの歴史

聖ヒエロニムス(342頃~420頃)に始まる禁欲主義

聖アウグティヌス(354~430) 男に従属する セビリヤのイシドルス(636没)女の用途は子を産む能力

教皇グレゴリウス七世(1073~85)独身原則の強化

トマス・アクィナス(1225~74)弱く非理性的で感情的で熱情に支配され悪の影響を受けやすい女のイメージ 不完全な男

11~13世紀 新旧約聖書の良き女と悪き女というようなイメージ エバとマリアの対立

15世紀 人類の二人の母:生としての聖母と、死としてのエバ
死/アダムと誘惑(性的欲望の対象としてのエバ)のイメージ

死と誘惑のイメージは、16世紀初頭にハンス・バルドゥング・グリーンによって描かれた、アダムとエバの絵画において絶頂をきわめる」(p17)
Eve, the Serpent and Death(Wikipedia)
Hans Baldung Grien - Eve, Serpent and Death
Artist Hans Baldung
Year early 1510s-1520
Medium Oil on panel
Dimensions 63 cm × 32.5 cm (25 in × 12.8 in)
Location National Gallery of Canada, Ottawa
「エバは、死とアダムの二役を演じるアダムを誘惑している。取り返しのつかないことに、彼らの腕は蛇に絡みつかれている」
(*この絵はペーパーバック版の表紙になっている
[ Picturing Women in Late Medieval and Renaissance ArtBy Grossinger, Christa ( Author )Nov-15-1997 Paperback)


第2章 良い女

理想像は聖母マリア 貞節と謙虚さ、純潔、慈善・・ 

中世後期に、「素朴で自由な生活への欲望は、ぞっとするような毛むくじゃらの悪魔たちを、色のついた毛皮をまとった野生の人間たちへと変身させた。」(p146)・・とあるのはよいが
この章の結語の「そして森は、都市市民にとって、もはやなんの恐れもいかせなくなったのである」というのはいまいち?わからない・・(性急感あり)


第3章 悪い女

エバの直系子孫:反抗的(不服従)、虚栄心が強く 好色でおしゃべり 悪魔が世界に入ってくる原因 情熱的享楽的 悪魔に惑わされやすい うぬぼれ屋 
15~16世紀 妻の不実を扱った版画はプロテスタント派の都市で人気であった 男の最大の恐怖は性的能力の喪失と寝取られ男になる屈辱
特定の罪は女性の特質ゆえに女に帰され、男の罪は男の特質ではなく職業に特別なものとされていた。(byルス・カラス ジョン・オヴ・ブロムヤードの「説教集」に見られる女嫌い)
※14世紀のドミニコ会士ジョン・ブロムヤードの『説教大全』
寓話「三つの指輪」(地中海学会月報2017年3月)

セバスティアン・ブラント(1457 –1521) 『阿呆船』(1494) 15世紀風刺文学 16世紀ヨーロッパにおけるベストセラー
Sebastian Brant 世界中が阿呆で一杯
https://en.wikipedia.org/wiki/Ship_of_Fools_(satire)

愚か者の船からの代表:Cupidoは盲目を撃ち、死は挨拶する。 https://de.wikipedia.org/wiki/Liebe

Choice of Hercules in Ship of Fools (この絵は本の表紙になっている。 男は若いヘラクレスたどる道の善悪 豪華な人生、)

Narrenschiff - Heracles on the crossroads

1493年 アルブレヒト・デューラーの最初の裸婦写生
湯女(娼婦)

1487年 『魔女への鉄槌』 ヤコブ・シュプレンガ―とヘンリクス・インスティトリス 助産婦などの弱い立場の女から魔女を作る。
魔女は子宮の中の胎児を殺す 中世末の魔女信仰を作り出す。
魔女狩りが絶頂に達したのは17世紀

Baldung Hexen 1508 kol

魔女の宴(サバト)  1510木版画

この章の結語
男は女の策略に引っかかる阿呆で、愚かさがこの時代の版画の主たるテーマであった。
版画制作が増加するのは、 罪の原因として人間の愚かさが良く議論されるようになった 人文主義の時代と規を一にしていた 
その最もよく知られた例は、セバスチャン・ブラントの『阿呆船』やエラスムスの『痴愚神礼賛』(p220)


第4章 女の年齢(女の死)

中世後期は死に取りつかれた時代
死の舞踏

この章の結語
「死神の存在は16世紀の初めに、バルドゥング・グリーンの独走作品で頂点に達する。
一的に、死はすべてを等しく扱い、男も女も同様に罪み深いと考えられたが、しかし常に舞台の中央に位置するのは女の肉欲であり、そして死に直面した男の目をもくらませたのである。(p239)Hans Baldung - Die sieben Lebensalter des Weibes


結論

「愚行や世俗的テーマの図はすべて、一般的に「周縁の美術」と呼ばれるものに由来する、つまり彩色写本の欄外装飾、木版画と銅版画、ミゼリコルディアや装飾芸術などである」

「高まった緊張が噴出することが許されるのはこの分野である 女は風刺されるだけのものではなく、反乱に成功しなかった農民と同様に満足を与える格好の標的であった」(p244)
猥褻場面は、全体的には神聖な環境の中で、常に宗教的場面と向かい合ってみることができた。
ミゼリコルディアの上にはお尻がのせられた
これらの場面がいったん版画に移し替えられれたとき、それらは独立性を獲得し、より積極的で好戦的な態度に変わった(p246)

宗教改革が受け入れられたところでは、周辺の滑稽モティーフ付きの時祷書やミゼリコルディアは姿を消した
修道院の解体に伴って、結婚しない女は尼僧院での結婚に代わる生活を選択することがきなくななった
女性祭神と純潔はもはや崇拝に値しなくなり、聖人と聖母マリアは仲介者としての慰めを与えることがもはや許されなくなった
生活は家族とキリストだけによる救済に集中する一層むき出しのものになった(p247)

ピーテル・ブリューゲルは、中世の図像を始めてより高級な絵画という媒体に移し替えたことで有名である。
こうして中世のがみがみ女は周縁的な場所から昇進し、モニュメンタルなイメージとなった。 (p249)
アダムとエバの時代から、男が一番気にかけるのは女との関係であった。あるいはむしろ女の男に対する関係であった。
それは芸術と生活に通底する、女と愛という不滅の普遍テーマで表現された。

この章の結語
愛の問題は常に人生全体に影響を与える道徳的問題とみなされ、芸術は、女が破滅に向かって引きずっていくとき、その連れ合いたちに彼女の悪行を提示することで、教会綾公権力の協力者となったのである(p252)

訳者補論 「良い女」周縁から中心へ 
十七世紀オランダ絵画における働く女のイメージ 青野純子
15,16世紀のフランドル絵画の聖母子の持つ、あの驚くべき程の日常性と写実性はうけつつかれた。
17世紀のオランダの働く女たちの情景もまた、オランダ社会が求めた「良い女」を提示し、理想とされる女のイメージの形成に一役買っている(p266)

訳者あとがき 元木幸一
フェミニズム美術史の3つの方向

1.これまで女は無視されて来たという被差別感から発するフェミニズム
(現代のフェミニズム)
例:リンダ・ノックリン「なぜ偉大な女性芸術家いない?」
女性芸術家の「発見」 初期自我像史には女の画家が多数登場する 男の視線がいかに支配的だったかの証左

絵画の政治学―フェミニズム・アート 単行本 – 1996/11 リンダ ノックリン (著),‎ Lynda Nochlin (原著),‎ 坂上 桂子 (翻訳)

2 歴史的フェミニズム。歴史的アンチフェミニズム
例:、ユッタ:ヘルト マドリーヌ・キャビネス
「『ヴァトー・デヴルーの時祷書』に関する論文」
「中世における女性の視覚化」

3.社会史的フェミニズム
本書 (1997)

視線と差異―フェミニズムで読む美術史 (ウイメンズブックス) – 1998/2 グリゼルダ ポロック ,‎ Griselda Pollock (原著),‎ 萩原 弘子 (翻訳)
から20年、ジェンダーと芸術の問題も、もう目くじらを立てる必要がなくなったのではないか

misericordiaミゼリコルディア

ミゼリコルディアを調べてみた

※慈善(ラテン語 misericordiaミゼリコルディア)
西欧で中世末期以降行なわれた「慈悲の聖母」の図像:立像の聖母がマントを広げ、その下にイサナサイズの人文つ軍がひざまずいて庇護を願う。ペストなどの災厄から逃れることを祈願して制作されることが多かった(岩波西洋美術用語辞典)


(Wikipedia)Misericorde(武器)


慈悲・・・ミゼリコルディア・・・抜苦与楽

この本の第3章に6つほど図が挙げられている「ミゼルコリディア」とは、これら(慈善とか短剣)とも違っていて、
「オックスフォード西洋美術事典」に特殊用法として挙げられている。

教会堂の聖職者席或いは聖歌隊席の畳み込み椅子の裏に取り付けた「持ち送り」 
中世の教会において説教が長引いたとき、起立人の苦痛を和らげるために考案された。椅子の持ち送りの装飾効果や教会の説教と無関係な装飾が施される 
13世紀には単純な動物や人物の図柄が用いられた
14世紀には複雑な主題が自然主義的な手法で扱われるようになった
時代が下がるに従い主題も家庭内の情景、中世に物語、馬上槍試合などから、人間の行動をパロディー化した動物、グロテスクな情景、幻想的な生き物などが導入されるようになる。
イギリスではミゼリコルディアは17世紀ごろまでこのような浮彫が施されていた

「著者はもともと中世末期ヨーロッパ北方美術の専門家で、本書の引用に ミゼリコルディアや版画が多いのは著者本多の守備範囲の反映」(p276元木幸一)
Humour and Folly in Secular and Profane Prints of Northern Europe(1430-1540),London 2002 笑いと教会 ヨーロッパ中世美術におけるユーモア表現について 元木幸一
マクデブルクの二つの笑顔(元木幸一) 

図像検索をしてみた
(Wikipedia)Misericorde(教会装飾)
Boston Stump misericord 02
inside of Boston Stump in Lincolnshire, United KingdomBLW Misericord with Harvesting SceneプリニウスのBlemmyes the Victoria and Albert Museum

Misericord in Ripon Cathedral
Misericord in Ripon Cathedral 懐かしい怪物である

St Laurence mermaid misericord
A mermaid misericord at St Laurence, Ludlow, Shropshire, England.
最後にp166のルドロウ、聖ローレンス聖堂のトゥティウイルスTutivillusという悪魔:女の最大の弱点(=悪魔のささやきに惑わされやすいこと)を刺激するという悪魔のミゼリコルディアをさがしてみたが、別の像しかないようだ(20180129現在)
13世紀のジャック・ド・ヴィトリ(Jacques de Vitry)の説教集にあるという。

正義自由|平等|博愛|


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