西洋の中世というのは、当然、キリスト教の世界だと思っていたのだが、酒井健の『ゴシックとは何か』によれば、11世紀の半ば、フランスの総人口の90%は農民で、彼らのほとんどが非キリスト教徒であったという 。
以下抜き書きで、聖母マリア信仰について見てみたい。
16世紀初めにおいても、それはまだ不完全であった・・
(アニェス・ジェラ―ル「ヨーロッパ中世社会史事典」池田健二訳)。
異教といっても様々であったが、共通しているのは、どの異教も自然のなかに神的存在を見出していた。(p030)
また、今まで、 ヨーロッパとはつまりはキリスト教の世界であり、それを象徴するのが大聖堂であると、理解していたのだが、それほど単純な話でもないようだ。
ゴシック大聖堂はこのような自然の消滅、人口の移動という大きな歴史の変化を背景に、都市のなか建てられていった。(p035)
聖母信仰とゴシック大聖堂の結びつきは、都市化現象という視点から見ると解き明かせる。(p036)
都市化現象により、「新たな共生の原理、都市の誰しもが救われる宗教原理が求められ、そのような都市の民衆の要求にのって聖母マリア信仰は12-13世紀のフランスに一気に広まった」(p039)という。
ゴシック様式の大聖堂は、ノートル・ダムという呼称と、つまり聖母マリアの民間信仰と直接結び付いている。
ノートル・ダム(Notre-Dame)とはイエスの母マリアを表すフランス語だ。これに対応する英語はアワー・レディー(Our Lady)である。いずれも「婦人」「女主人」を表す丁寧語の前に「我々の」という所有格形容詞がつけららている、これは民衆の間でマリアが慕われていたことを証している。(p035)
マリア信仰の火付け役は、東方起源の信仰で、ギリシア帰りの修道士によってイギリスに持ち込まれたのちノルマンディー地方、リヨン、そしてパリに伝播していった[聖アンナによる聖母マリアの無原罪懐胎] の信仰 であるという・・それは
マリアの母アンナが接吻だけでマリアを身ごもったという信仰で、この信仰がフランスで祝日(12月8日)として祝われるようになったのは、1130年、ちょうどノートル・ダムなる言葉が使われ出した頃 である(p039)
ここで、地母神崇拝の話になる。
「母なるものへの信仰は、異教信仰として、それぞれの土地に根差した地母神崇拝というかたちで、極めてる古くから存在していた」(p040) (酒井健の『ゴシックとは何か』)
小アジアのフリギア(今のトルコのあたり)の地母神キュベレは古代ギリシアを通って前6世紀にフランスのマルセイユに伝来し、
古代エジプトの大地母神イシスもローマ帝国の領域内で広く信仰されていた。
また古代ギリシアではデメテルが、
ゲルマンの神話ではペルヒタやホレ、フレイアが
ケルトの信仰ではアナ(あるいはダナ)が信仰されていた。
多種多様のローカルな地母神崇拝を普遍的な次元に高め、
普遍的なレヴェルで地母神崇拝を実現する必要があった(p041)
聖母マリアはその普遍性を備えていた。ただし、新約聖書正典のなかの聖母マリアではいけなかった。なぜなら、正典のマリアは<神の母>(テオトコス=イエスの母」であっても、天上の父なる神への信仰より下位に置かれていたからである。 天上の父なる神は自然界を超えて存する。地母神は母なる大地の神、自然神である。
母性を強く肯定しそのことで自然との結びつきを保持しようとするならば、父権的・超自然的信仰の支配する正典の外の伝承に依拠せねばならなかった。
(p041)
(酒井健の『ゴシックとは何か』)
https://www.notredamedeparis.fr/
パリ、ノートルダム大聖堂 西正面左扉口
聖アンナのポルタイユ(photo by Benh Lieu Song )
戴冠したマリアと彼女に抱かれる幼児イエスの聖母子像
下段:聖母マリアの懐胎のきっかけになった
聖アンナと夫ヨアヒムのエルサレム金門での再会
「聖母マリアの死・被昇天・戴冠」 (新約聖書外典「ヤコブ原福音書」に出自する)
以上の左右の扉の外の、中央の扉は「キリスト最後の審判のポルタイユ」
ポルタイユとは「正面」を意味するフランス語
柳 宗玄(平凡社世界大百科事典)Wikipedia著書は下へ
マリア Mary
語源はヘブライ語 miry´m またはアラム語の mary´m で, ふとった女〉 (すなわち〈美女〉) の意とされるテオトコス Theotokos[ギリシア]
〈神を生んだ者〉〈神の母〉を意味する聖母マリアの尊称。
シュテファン・ロッホナー(Stefan Lochner)
薔薇垣の聖母
Madonna of the Rose Bower, c. 1440–42.
Wallraf-Richartz Museum, Cologne
(1450年頃。ケルン、ヴァルラーフ・リヒャルツ博物館所蔵)
*https://www.bun.kyoto-u.ac.jp/pdf
「子宮をひらくマリア」
12 世紀後半あるいは13 世紀初頭から16 世紀半ばにかけてヨーロッパ各地で身体の一部に切れ込みを持つ聖母像が制作された。
最古の作品と考えられてきたブーボンの像(ウオルターズ・アート・ギャラリー蔵)
14th century, Anost Burgundy. The figure of the virgin holding the Christ child is hinged and opens to reveal the seated figure of God the father.
初めて実物を間近に見ました。
photo byM 20190614 オータン ロラン美術館にて
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まだあるかも・・そのうち続きます・・・2011-02-07