[善悪]の図像

以下は、20年前の 「地中海月報」COLLEGIUM MEDITERRANISTARUM 1998|11 にあり・ ・引用検討したい・・

女性擬人像にみる善悪のイメージ
小池 寿子

象徴とアレゴリーの森

中世は,象徴とアレゴリーの森である。
キリスト教の象徴世界と並んで育まれてきたアレゴリー世界
巧みに絡まりあって織りなされたこの森では,
光と闇,善と悪の大きなふたつの力が絶えざる戦いを展開する。
勝敗はおのずとあきらかではあるものの,
闇と悪あってはじめて至福の輝きをえるのが光明の世界。
「暗黒中世」の光彩は,何より,
両者の陰影に富んだせめぎあいから生まれるのである。

ところでそこに,この善悪ふたつ,いや,ふたりの巨人は,
いかなるいでたちで登場するのであろうか。
女性擬人像に託された善悪のイメージを,
13世紀フランスのアレゴリー文学の白眉である
『薔薇物語』を中心に
たどってみたい。


作者については,
前編はギョーム・ド・ロリス,
後編はジョン・ド・マン。
それぞれ1230年頃と1370年頃に執筆されたとみられ ,作風は大いに異なるものの, アレゴリーの伝統とその成熟を存分に味わうことのできる大作である。
小池寿子(wikipedia)著書(amazon)

薔薇物語』(ばらものがたり、Le Roman de la Rose)は、 中世 13世紀 フランス の寓意的な物語


以下引き続き、小池 寿子さんの論考「女性擬人像にみる善悪のイメージ」 引用

物語は,5月の麗しい愛の季節。
主人公は,夜鳴鴬や雲雀や鸚鵡が大歓びで愛らしい歌を歌うなか,
かぐわしく澄んだ大気に懐かれて,心地よい夢を見る。
「眠りのなかで夜明けを迎えたような気がした」
彼は,いそいそと身繕いをし,陽気に元気に町の外にでかける。
小川のせせらぎに誘われながら,
ずんずんと歩を進める彼の前にあらわれたのは、壁に囲まれた「悦楽」の園という名の庭園。そして,
そこで彼が出会ったのは「ナルシスの泉」に映る美しい「薔薇の蕾」であった。

こうして,「夢物語」という枠組みのなかで,
中世の楽園である「閉ざされし園」で見いだした
「薔薇の蕾」,つまり「愛」の探求がはじまる
のである。

この「悦楽の園」を囲む壁に描かれた10枚の絵を見てみよう。

女性の姿をとった「悪」

それは
「憎悪」「悪意」「下賎」「貪婪」「強欲」「羨望」
「悲哀」「老い」「偽信心」「貧困」という
10人の女の姿で描かれた「悪」
である。
そして女性の姿をとった「悪」は,容貌,動作,身なりに「しるし」として表れている。

たとえば,怒りと不機嫌の塊のような「憎悪」のむっつりとひそめた眉,
つねづね何かを奪い取ろうと企む「貪婪」の鉤形に曲がった手,
「悲哀」のほどけて乱れた髪,
また,ほぼすべての「悪」女に共通した痩せて貧相な容貌。
ついで,「強欲」の玉葱のような緑色,
「悲哀」の黄疸にかかったような顔,
「偽信心」の死んだように蒼白な顔といった身体の色。
そして,うずくまる,やぶにらみをする,かきむしるといった動作。
身体の特徴と身振りと色,衣服の色と装いかたによって,
「悪」が規定される
のである。

一方,「善」はここでは,「悦楽の園」の10人の男女として登場する。
すなわち「歓喜」「悦楽」「愛神」「優しい姿」
「美」「富」「鷹揚」「気高さ」「礼節」「若さ」
である。
彼らは,雪のように白く薔薇色さした肌,
なだらかに弧を描く眉をもった容姿端麗にして繊細優美な人々で,
朗らかにして軽やかである。その詳細は省くとして,
美善一致の思想が貫かれ,
若さと富という価値観が加わっている。

善悪を擬人像の戦いとして描写する伝統

ところで,善悪を擬人像の戦いとして描写する伝統は古く,
キリスト教においては,
古代以来の伝統を色濃く受け継いだ4世紀スペインの文人
プルデンティウスの『プシコマキア(霊魂の戦い)』
にさかのぼる。
これは,人間の魂に潜む善なるものと悪なるものの内的戦いを
女性擬人像の熾烈な戦闘として描きだしたラテン詩である。

中世を通じてこの内的善悪の戦いは,
写本挿し絵や教会堂彫刻として表現されてきたが,
しだいに当初の荒々しい「戦闘」の要素はうすらぎ,
身体的特徴やアトリビュートによって,
そして『薔薇物語』の13世紀以降は,
身振り,衣服,色という新たな「しるし」にとって代わる
ようになる。
それはとくに,説教修道会による身振りの刷新や宗教劇の普及,
また,文化の世俗化によってもたらされた変化であろう。

中世後期の文芸の面白さは,
まさに,この具体的で日常的,ともすれば卑俗な側面にある。
そこには,キリスト教的善の世界から踏みはずし,
悪の世界に転がり落ちる寸前の愉快な人間世界が描かれているのである。


鍵を握る女性が 「閑暇」

ところで『薔薇物語』の鍵を握る女性が
「閑暇」であるのは示唆的
である。
彼女は麗しく「善」でありながら,
人間暇があればろくなことは考えない,と欲望の端緒ともされていたのである。

以上、小池 寿子さんの「女性擬人像にみる善悪のイメージ」から。
改めて『薔薇物語』を読んだ私の感想としては、
「老い」の部分の「時」の考察が、大変哲学的詩的だったことが一番で、それもあってか、「道徳的な善悪」の対比(「人間の魂の内部で行われる徳目と罪源の葛藤」)をあまり感じられなかった。
そうではなくて、愛というものの実態や愛というものに敵対するものとの対比という感じであろうか?

七つの大罪(Wikipedia)
プルデンティウス(英語: Prudentius)(348‐405以後)の「プシュコマキア(英語: Psychomachia)」によれば、七つの大罪は、それぞれ次の美徳に対応しているという。暴食⇔節制、色欲⇔純潔、強欲⇔慈善・寛容、憤怒⇔忍耐、怠惰⇔勤勉、嫉妬⇔感謝・人徳、傲慢⇔謙虚。

上が、一般的に納得できる「善悪の対比」だと思うが、 「薔薇物語」では、どうだろうか。
7ではなく10であるが・・
悪(?悪いもの): 「憎悪」「悪意」「下賎」「貪婪」「強欲」「羨望」 「悲哀」「老い」「偽信心」「貧困」

善(?良いもの): 「歓喜」「悦楽」「愛神」「優しい姿」 「美」「富」「鷹揚」「気高さ」「礼節」「若さ」

「女性蔑視の思想」というものも、(前編を読んだ限り)私には感じられなかった。✳
初めにある、庭園の外の壁の肖像の話だが、こういう女達はいかにもいそうだ‥。

その10の肖像の中に、 貧しい女や、老いた女を入れるところは、ちょっと悲しいが、ここは善悪というより、置かれたシチュエーションの対立という感じが強い・・
美に対するものとして、 目鼻立ちの醜より、そのしぐさ(態度の大きさとか片目をつぶるとか)で言っているのも具体的だが、 美と善を同一のものとしているのかどうか、判断できない。
善(→恋愛に良いもの?)に入れられているらしいのは、
「歓喜」「悦楽」「愛神」「優しい姿」 「美」「富」「鷹揚」「気高さ」「礼節」「若さ」・・であるが、 「歓喜」「悦楽」は道徳的善に関係ないように思える。

コトバンクの解説
13世紀フランスの寓意文学。2部からなり,それぞれ文体も精神も異なる。前編はギヨーム・ド・ロリス作で,宮廷風騎士道恋愛作法を内容とする優雅な詩
後編はジャン・ド・マン作で,愛は理性と自然によって定義され,結婚,王権,騎士制度,聖職者などが合理主義的精神によって批判される。また,そこに認められる女性蔑視の思想はピザンらによる〈薔薇物語論争〉を15世紀初頭に引きおこした。

フランス中世の韻文物語。作者を異にする前・後編からなり,前半4020行(ルコア版)はギヨーム・ド・ロリスGuillaume de Lorrisによって1237年頃に,後半1万7722行はジャン・ド・マンによって1275‐80年頃に書かれた。
物語は作者が見た夢を語るという形をとり,恋の成就(バラを手折ること)と恋愛作法を,抽象的な観念を形象化・擬人化するアレゴリーを用いて描く。したがって物語は字義通りとアレゴリーの二重の読取りを必要とする。

(原題Le Roman de la Rose) 寓意文学。前編はギョーム=ド=ロリス作、後編はジャン=ド=マン作。一二二五~八〇年頃発表。フランス中世の詩文学の代表作の一つ。前編は中世の宮廷趣味の恋愛を幻想的に描き、後編は愛に関する現実主義的合理的概念をさまざまな人物に託して、寓意的に描いた。


『薔薇物語』(ギヨーム・ド ロリス, ジャン・ド マン 著)の画像をチェックします。(20190801)
『薔薇物語』 篠田 勝英 (訳)(平凡社1996)の図版あるが、 
15世紀のジャン・デユ・プレJehan Du Pre版の木版画という。(en.wikipedia)
https://data.bnf.fr/fr/16658947/jean_du_pre/


庭園の壁の肖像

物語の出だし部分。20歳の私の見た夢(のちに現実化した、とある)で、時は五月の朝。街を出ると、川の流れる草原の中の、銃眼を備えた高い壁に囲まれた大きな庭園があった。
その壁の外に描かれた肖像を語る・・

「憎悪」(p10)
怒りと不機嫌の塊といった感じの人物
醜く、垢まみれで、襤褸を不格好に体に巻き付けていた。

「悪意」

「下賎」
前の二つと似通った性格のもの  
実に性悪に感じられ、頭がおかしく、残酷で、節度を知らず、口が悪く、態度の大きな人間に見えた。

「貪婪」
人々をそそのかして、貰いはするけれど何も与えず、そうして富を搔き集めるように仕向けるのはこの女だ。

「強欲」
醜く、不潔で、具合が悪そうで、痩せていて、みすぼらしく、葱のように緑色だった。
片手に財布を隠し持っていて、あんまりしっかり紐を結んでいるものだから、中身を出そうとすると、ひどく時間がかかるのだった。

「羨望」
誰かがひどい目にあったことを見聞きしたとき以外は、生まれてこのかた笑ったこともなければ、喜んだこともないという女である。
正面から相手の目を見ようとはせず、小馬鹿にしたように片目をつぶっている。

「悲哀」
顔色を見ると大変な心痛を抱え込んでいるのが良くわかる。それに黄疸にかかっているようだ。
編んだ髪はすっかりほどけ、首の周りに拡がっている。興奮と激情で掻きむしったからだ。
不幸な女は自分の苦悩しか頭になくて、(中略)喜びに身をゆだねる気などなれない。喜びと苦しみは相反するふたつのものなのだから。

「老い」
「時」というものは、日毎夜毎、休まずたゆまず過ぎてゆく。そしてこっそりとわれわれのもとを去っていくものだから、ある時、ある場所にとどまっているように思われるけれども、実は止まりはしない。それどころか絶えず過ぎ去ってしまい、今その瞬間がどのような時であるのか、考えてもわからないほどだ 
流れ下る一方で、一滴も戻ってこない水のようだ。「時」に対してはなにものも、鉄もどれほど堅固なものも逆らうことができない。
すべてを損ない、食べ尽くしてしまう。
「時」はあらゆるものを変え、すべてを成長させ、育て、擦り減らし、腐らせる。
人々に歳を取らせるという絶対的な力を備えた「時」は、〈老い〉をかくも無惨に老け込ませてしまい、もはや彼女は自分では何もできず、すっかり子供に返ってしまったようだ。
私の知る限り、最盛期の彼女は叡智と分別を備えていた。しかし彼女はもはや知恵を失い、愚か者になり果てていると思う。
思い出せる限りでは、彼女はしっかりと裏打ちされたマントで体を包んでいた。老人はとても寒がりなもの、ご承知のようにそれが彼らの本性なのだ。

「偽信心」
偽善者めいた人物
人が全く警戒していない時に、こっそりと、ためらいなく悪さをするのがこの女だ。外見は猫をかぶっていて、(中略)うわべだけは神に祈りをささげ、聖人・聖女の名を唱えるのに腐心している。

「貧困」
最後に〈貧困〉が描かれていた。
片隅に追いやられた哀れな犬ころのように、うずくまって身を縮めていた。貧しいものはどこにいようといつも恥ずかしく、情けない思いをしているものだからだ。貧しい人間が体内に宿された時こそ呪いあれ!

この後〈閑暇〉が庭園の小さな扉をあけてくれる。
カロールを踊る輪の人物たち
〈礼節〉、〈悦楽〉と〈歓喜〉
〈愛の神〉は一人の若者〈優しい姿〉を従える
〈優しい姿〉のもつ2本の弓と10本の矢・・ (金の5本のうち)
最良の矢は〈美〉
傷つける力が最も強い弓は、〈純真〉
〈気高さ〉と名付けられた弓は〈価値〉と〈礼節〉を矢羽としていた
〈同伴〉は近くから射ると相当な傷を負わせることができる
最も危険な小さい矢は、〈愛想〉
別の種類の5本の矢は醜く黒い

Meister des Rosenromans 001
Genius of love, Meister des Rosenromans, 1420-1430
https://en.wikipedia.org/wiki/Roman_de_la_Rose

カロールの輪の高貴な人々
〈美〉  雪のように色白 若く、金髪で、魅力にあふれ、気持ちよく、礼節を備え、優雅で、ふくよかで、ほっそりしていて、美しく、すらりとしている
〈富〉 敬意の的となる緋色のロープを羽織る
〈鷹揚〉 人々に敬意を表し、贈り物をばらまくようにしつけられた女性
〈気高さ〉
〈若さ〉(=12歳)
庭園(正方形)の奥

気持ちよく甘美な場所
ナルシスの泉 人を愛することに無関心な頑なナルシスの慢心と高慢への復讐
〈愛〉 薔薇の蕾 〈愛の神〉に降伏―臣下の誓い

〈愛の神〉の掟
1.〈下賤〉を遠ざけること
2.他人について黙っていた方が良いことをしゃべらないように
3.身分の高い人にも低いひとにも、礼節をもって接する
4.汚い言葉やならず者の言葉を口にしない
5.あらゆる女性を敬い、奉仕しなさい
6.高慢を戒めなさい
7.優雅な物腰を身につけなさい
8.快活さを保つこと
9、貪欲だと思われてはならない。自分のものを気前よく与える喜びを
10.心は一つの場所に集中させる

この掟というのは、何かシェークスピアを思い出させる。
別サイト(シェイクスピアをもう一度)→2005/1.html


愛の神の贈物
1.〈希望〉
2.〈甘美な言葉〉
3.〈優しい姿〉

薔薇の蕾をめぐって
〈歓待〉登場〈拒絶〉登場〈理性〉の説得〈友〉の忠告
〈気高さ〉と〈憐憫〉〈歓待〉との再会〈ウェヌス〉の力
接吻 急展開 〈中傷〉〈羞恥〉〈嫉妬〉
〈羞恥〉と〈小心〉、〈拒絶〉を叱責(薔薇の蕾を守る4人)
〈嫉妬〉の城、城の防備  塔の中の〈歓待〉と〈老婆〉

野蛮な〈嫉妬〉が君(=〈歓待〉)の体を縛っているように、心まで縛ってしまうことがないようにしてほしい。

ああ〈歓待〉よ、いまどうしているのかわからない。けれどもわたしのことなど忘れかけているのではないかと不安でならないのだ。

何か、普通に恋の告白のようです‥ここでギョーム・ド・ロリス作の部分(前編)が終わる。
前編に対し、分量で4.5倍の後編の頁には今はつきあわないで、ここまでとします・・

→美徳についてはこちらのページ

「七つの大罪」

 Wikipedia 

七つの大罪(七つの罪源)は、4世紀のエジプトの修道士エヴァグリオス・ポンティコスの著作『修行論』に八つの「人間一般の想念」として現れたのが起源である。
キリスト教の正典である聖書の中では七つの罪源について直接に言及されてはいない。
エヴァグリオスによると「貪食」、「淫蕩」、「金銭欲(強欲)」、「悲嘆」、「怒り」、「怠惰(アケーディア)」、「虚栄心(自惚れ)」、「傲慢」

6世紀後半には、グレゴリウス1世(540年頃-604年)がその内の「高慢」をすべての悪の根として別格扱いとし一覧から外し、
高慢から生まれる「七つの主要な悪徳」として次のものを挙げた。
<1>虚栄、<2>嫉妬、<3>怒り、<4>悲嘆、<5>強欲、<6>貪食、<7>淫蕩、である。
カッシアヌスの伝えた一覧の「怠惰(アケーディア)」は「悲嘆」に含めてまとめられ、新たに「嫉妬」が加わった。グレゴリウスの一覧は、精神的なものが前に、身体的、物質的な悪徳が後ろに並んでいるのが特徴である。

カトリック教会の七つの罪源

日本語 ラテン語 英語
高慢 superbia pride
物欲 avaritia greed
嫉妬 invidia envy
怒り ira wrath
色欲 luxuria lust
貪食 gula gluttony
怠惰 pigritia/acedia sloth

en.wikipediaのほうには、美徳との対比があったので、そちらも引用しておきます。
また、象徴動物もアリ・・

Christian seven virtues

  Latin Virtue Latin
Lust 欲望 Luxuria
ラスリア
Chastity 貞操 Castitas
Gluttony 大食い Gula
ゴラ
Temperance 禁酒 Moderatio
Greed 貪欲 Avaritia
アバリジア
Charity
(or, sometimes, Generosity)
チャリティ(時に)寛大
Caritas (Liberalitas)
Sloth 怠惰 Acedia
アセディア
Diligence  勤勉 Industria
Wrath  怒り Ira
イラ
Patience  忍耐 Patientia
Envy 羨望 Invidia Gratitude  感謝 Gratia
Pride 誇り Superbia Humility 謙虚 Humilitas

七つの大罪と動物

七つの大罪とそれに比肩する悪魔と動物
大罪 対応悪魔 動物
傲慢(高慢) ルシファー グリフォンライオン孔雀蝙蝠
憤怒(激情) サタン ユニコーンオーガドラゴン
嫉妬(羨望) レヴィアタン マーメイド土竜
怠惰(堕落) ベルフェゴール フェニックス驢馬ナマケモノ
強欲(貪欲) マモン ゴブリン針鼠蜘蛛
暴食(大食) ベルゼブブ ケルベロスリス
色欲(肉欲) アスモデウス インキュバスサキュバス山羊

七つの大罪の絵画

Hieronymus Bosch - The Seven Deadly Sins - WGA2500
https://flora.karakusamon.com/bosch/garden.html



Moissac - Abbaye Saint-Pierre - Porche de l'église -3
モワサックのこの像
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